2016/04/05

私はプールの監視員

小さいときからのコンプレックスのひとつは、
「熱くなりきれないし、
かといって冷たくもなりきれない」ことでした。

周りが「これいいよね!」って言ってることに
100パーセント「だよね!」って言えない。
でも、「そうは思わない」っても言い切れない。

「ここはいいけど、でもここはよくない」
なーんて言ってしまうと、
周りの空気に水を差すことになってしまう。
それを疎んじられたことも多かったし、
がんばって
「だよね!」って言ってたこともあったけど、
自分の気持ちと裏腹に言ってるから、
「そう思ってないよね」って見破られることも。

「いいよね」と言えないのは
自分に情熱が足りないからなのかもしれない。
でも、自分が感じているものを感じてないことにして
「いいよね」と言うのも、なんだか違う。

大人になって
自分のいる環境を選べるようになって
だいぶその居心地の悪さは減ってきたけど、
でもやっぱりどっちつかずの自分は、
どこかでコンプレックスに感じていたのです。

*

先日、友人の高坂翔輔さん
話をしていたときに、
たかさんにこんなことを言われました。

「はるなちゃんすごいな!
って思うとこはね、

人でもモノでも
それと対峙したときにね
自分のポジションを変えられること

その熱さに
同調したほうがいいのか
あえて引いてみた方がいいのか

その人や
そのモノの
魅力を引き出すには

どの温度で伝えたらいいのか
それをね、使い分けられること


使いわけてる?
私が?

ただ、そう言われると
思い当たるところも。

そういえば、
私は、無意識のうちに、
何事に対しても
両極端の考えを聞いてから
自分の立ち位置を決めてる。

熱くも冷たくもなりきれないけど、
熱さも冷たさも知ろうとした上で、
これに対しては
私はこの位置に立とう、
と決めている。

この
「熱さも冷たさも知ろうとした上で」
っていうことが、
私にはとても大事なポイント。

もちろんすべては理解しきれないし、
両極端を知るって
疲れるし振り回されるんだけど。笑

でも、ひとつの視点しか持てないのは
たまらなくイヤ。
全面的に賛成!とか反対!とか、
そんなことはなくて、
きっとどっちも混ざってるはず。

「◯◯な反面××」
っていう表現が、
私にとってはすごく心地いい。

どちらかになりきれない感じが
ここにも出ているのだけれど・笑、
この変温動物っぽさが、
まさに自分なんだなあ。


はるなちゃんは、
プールの監視員みたいな役割だよね

流れを読んで、危なそうな人がいたら
ピピーッて笛を鳴らせる、
みんなが安全に遊ぶために必要な人

周りが熱くなりすぎたときに
「本当に?」って警告を鳴らして、
温度調節ができる

でもはるなちゃんて
フィンランドもだし
サッカーをはじめスポーツに
かなり熱いでしょ?

自分が「これはいい!」って思うモノに
チカラ注ぎたいんだと思うんだよね

その上で
冷静で客観的に見れて
モノが書けるって
本当にすごいと思うの

だから、ホットになれるテーマに対して
クールな視点で書けるんじゃない?


わー、そっかー!
私、プールの監視員だったんだ!

どっち側にも立てない劣等感を
ずーっと抱えてきたけど、
監視員ならそれも納得。

遊べ遊べー、って煽ることもできるし、
危ないよー、って笛を鳴らすこともできる。

相手やモノを中心に置いて、
そのときどきによって、
自分のポジションを変えている。

それがきっと、
「クールな視点」ってこと。


「しかも、プールの監視員って、
渦中にいられないさみしさもあるけど、
渦中にいないからこその楽しさもあるじゃん?

みんながいないときに
ゆうゆうと泳げるし」

そうだねー!
あの広いプールをひとりじめできるのは
かなり嬉しいこと。

それに、
ちょっと離れたところで観察してるからこそ
気配とか雰囲気を感じ取れるのかもしれない。

*

「その人の気配まで言葉にしたい」
と思っている私にとっては、
一歩引いたところから
物事を観ることが
何よりも大事なことです。

近すぎると見えないこともある。

「プールの監視員」
と言ってもらえたことで、
私はそういう立ち位置でいいんだな、
と思えたのはとても嬉しいことでした。


ちなみに、たかさんは
私と正反対で、
熱く熱く
「これがいいんだよー!」と語れる人。

宗教を始めたら、
すごい数の信者を集めるはず。笑


そうなりたいなあと思ってきたけれど、
私はやっぱり
そういうタイプじゃないみたい。

私は私なりに、
プールの監視員の道を歩もうと思います。


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