2014/05/24

自分で獲得していく

 「自信って、人から持たせてもらうものではないですから」と大口をたたいたあと、これは自分に言い聞かせているのかもしれない、と思った。
 ここ数日、肩書きについて考えている。
 昨年独立して最初に名刺をつくったときは、ライターとは書けなかったし言えなかった。自信も実績もない私なんかがライターと名乗っていいのかどうか、という腰が引けた状態だったからだと、今ならわかる。でもそのときは、どう考えてもそうは書けなかったのだ。
 フリーになって1年とすこし経って、やっと言えるようになった気がする。昔から面識がある人に「ライターです」と言うのが気恥ずかしいことには、今でも変わりはない。それでも1年経って、昨年の自分よりは自信が持てるようになったのだな、としみじみ感じている。
 そして、やっぱり自信は自分自身で手にしていくもの。あくまでも、自分でたくさんの経験と失敗を繰り返しながら獲得していくものでしかないのだ。
 迷わないわけがない。迷いを内包して、それでも必要なときが来たら迷わずに翼を広げるという覚悟のようなものが、自信につながるのだろうと思う。そしてそれが意図せずに自然に表にあらわれたときに、きっと私自身の言葉が生まれるのだろうと思っている。


2014/05/09

足踏みミシン

 口が裂けても手先が器用だとは言えないので(ここで私のことをよく知っている何人かはうんうんと頷くに違いない)、母や妹たちが大好きな裁縫や編み物とは、私自身はまったく縁がない。ミシンだって、もう何年も触ったことがない。
 亡くなった祖母が愛用していたのは、足踏み式のミシンだった。「ジャノメミシン」と書いてあったそれは、黒くてどっしりとしていて、庭が見える場所に、カバーをかけられて置いてあった。
 一時期私が好きだった遊びは、そのミシンを使い、延々と紙に穴を空けていく、というものだった。もちろんそのミシンを使うのには祖母の許可がいる。「ねえおばあちゃん、あれやりたい」とねだっては、針を古いものに付け替えてもらい、いらないチラシや画用紙をそこにあてがって、踏み板に足を乗せる。足は互い違いに置いたほうがいいのよ、と祖母に教えられてそっと踏むと、むき出しになった茶色の革のベルトがぶうんという音を立てて回りだし、それと同時に紙に一定の間隔で穴が空いていくのが、なぜかたまらなくおもしろかったのだ。
 すっかり忘れていたけれど、神戸の異人館に展示されていた足踏みミシンを見て、ふっと記憶が蘇ってきた。そういえば、家の中でかくれんぼをするときは、よくミシンの下に隠れていたものだった。
 小さかった私にとっては、ミシンはピアノと同じ種類のものだった。つまり、自分が動かしているのだという実感を持てていたもの。今はあらゆるものがコンピューターやシステムで動いているけれど、きっちりと組み立てられ、それを自分で動かしていけるという実質的な喜びを感じていたのだと思う。ミシンは処分され、ピアノもあまり弾かなくなってしまったけれど、自分の動かしたように動くものの美しさは、今でも私の根っこに息づいている。

2014/05/05

思いと形/お知らせ

 3月から4月にかけて一生懸命取り組んでいた仕事が、ひとつの形になった。どんなに大変だと思っても、この瞬間があるから仕事をしていられるのだな、と思わずにはいられない。
 思いが形になり、形は思いを加速させる。そして、私はそのプロセスに、何よりもぞくぞくするのだと思う。
 ということで、6人の方々に取材させていただいた「しつもん通信」2号ができ上がりました。
 今回の特集は「しつもん先生」。子どもたちの教育に魔法の質問を活用している方々を取り上げました。
*5月8日追記:在庫がなくなってしまったため、送付は終了いたしました。
 たくさんの方に読んでいただけたら、とても嬉しいです。