2013/03/30

1枚のショートパンツ

 ずいぶん長いこと、どこに行くのにも頑なにジーンズ、という時期があった。
 毎日スーツを着なければならなかった会社を退職したら、とたんに何を着たらいいのかがわからなくなった。何が似合うのかも何が好きなのかもわからず、思考停止の状態でただ服を選ぶだけ。だから、あたりまえだけれど何の愛着も持てず、服を買うのがさらに苦手になるという悪循環からなかなか抜け出せなかった。
 昨日、ショートパンツを買った。自分でショートパンツを買うのははじめてのこと。なぜかどうしても気になってしかたがなく、いつもなら理性で押しとどめるのに、自分でもよく思い切ったものだ、とどこか他人事のように思う。
 ファッションは自分自身。それならば、たった1枚のショートパンツが、いろいろなしがらみや枠から解放され、のびのびと自分自身を表現できるきっかけになるのかもしれない。

2013/03/27

残り香のように

 すべてを覚えていることも、すべてを忘れることもできないからこそ、記憶は残り香のように香り立つのかもしれない。
 心のなかのそれは、きらきらと、もしかしたら実物以上にきらめいていて、いつでも私を慰め励ましてくれる。

2013/03/25

春の兆し

 就職するころまでは、「いちばん好きな季節は春」と言ってはばからなかった。自分の名前にも入っているくらいだし、と。
 突然、それが苦手になったのはなぜなのだろう。以前は好ましいばかりだった、ざわざわと新しく始まる雰囲気や、急に景色が色つきになり、あらゆる生命が蠢き出す感じ、それらはいったん気になり始めるとどこまでも疎ましくなるのだから不思議なものだ。もしかしたら、私自身が決して変化を好むわけではない性格であることも関係しているのかもしれない。
 それでも、ここ数年は春の兆しを見つけると頬がゆるむ。東京では、一足も二足も早くお花見気分を味わうこともできた。つけているストーブもよく止まるようになった。もう、ダウンコートはクリーニングに出してもいいかもしれない。

2013/03/23

ふるさとは

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」、と思っていた。そう思うものなのだと思って、18歳の私は家を出たのだし、就職するときも山形にだけは帰らないと思ったのだった。
 この2週間、京都、大阪、東京と山形を行き来していた。出かけていると生活のリズムが狂うこと、食事が適当になりがちなこと、なかなか熟睡できないことはやや気になるけれど、旅をするのは大好きだし、移動も苦にならないので、友達や仲間と会い、目新しい風景の中を歩くのも楽しい。
 それでも、東京駅で新幹線に乗り込み、周りが山に囲まれた見慣れた風景を目にすると、自分でも嫌になるほどほっとする。バスの行き先を何回も何回も確認しなくてもいいし、タクシーに乗るなら自分で通る道を指定できる、お気に入りのお店がいくつもある、呼吸をするのが楽、そんなことが、街が体に馴染んでいるということなのだろう。東京よりもひんやりとした空気をいっぱいに吸い込んで、やっぱりここが私のふるさとなのだ、と思わずにはいられなかった。
 年々、山形が好きになる気がする。

2013/03/18

大いなる矛盾

 「ありのままでいいんだよ」、と言ってもきたし、言われてもきた。
 でもきっとそれは、何者にもなれない私をも受け入れることときっとイコールで、今の私は、人にはそう言うくせに自分はそれではいやだ、という大いなる矛盾を抱えている。
 まったく、もう。

2013/03/07

新しい靴

 「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする」、と須賀敦子は書く。
 2週間ほど前、新しい靴を買った。6.5センチヒールのショートブーツ。
 はじめてヒールのある靴を買ったのは学生時代。今思えばほんの3センチほどのヒールだったが、それでもその靴に足を入れて立ち上がったときの、世界がひろびろした感じは忘れられない。背が小さいこともあって、それからはヒールの靴ばかり買った。どんなに足が痛くなっても、もともとの自分の目線よりすこしでも高くなれば、それでよかった。普段の私では見えないものが見える気がしたのだ。でも、山形に帰ってきてからは、めっきりヒールの靴を履くことはなくなり、持病だった腰が悪化してから、私はヒールのある靴をすべて処分した。
 どんなに少なく見積もっても、そんな靴を買うのは6年ぶりだ。もしかしたら、新しい靴を履くのにあんなにわくわくするのも、同じ時間だけ、久しぶりなのかもしれない。今の私はひろびろとした世界を早く見たくて、雪解けの日を心待ちにしている。

2013/03/04

 「本があれば生きていける」というより、「本がなければ生きていけない」のだと思う。私にとっては、本は水であり、空気であり、命だから。