2013/01/31

安寧

 「すみずみまで目が行き届く」という言葉がもたらす安寧が好きだ。たとえば調律されたピアノ、整然と本が並べられた本棚、きちんと手入れされた革のバッグ、好きな作家の文章。そこにあることを赦され、それと等量の関心を持たれ、手をかけられているということに安心するのかもしれない。

2013/01/30

ささやかな夢

 断言できる。私が今までいちばんお金をかけたものは、本だ。
 小さいときから本を読むのが好きだった。自分では覚えていないが、読み聞かせもだいぶしてもらったという。おもちゃや人形はあまり買ってもらえなかったけれど、本だけは十分に与えてもらった。どこにいても、本のあるところが自分の居場所だったし、何も読むものがないと不安になる。10歳の誕生日に本を10冊買ってもらい、2日で全部読み切ってしまって「もっと買って」と言って呆れられたこともある。旅先の東京や京都で3万円ほども本を買ってしまい、お財布は心もとなくなるやら荷物は重くなるやらで大変な思いをしたこともある。引越し屋さんに、本の多さに驚かれるのも常だった。
 今や、本の形態もさまざまだ。私自身、電子書籍を読むことも多くなった。でも、やっぱり新しく買った本の表紙をめくるときの、あの高揚感は何ものにも代えがたい。紙の質感、インクの香り、紡ぎだされるものがたり。今でも、私の居場所は本のあるところ。天井まで本棚があって、上のほうははしごにのぼらないと本が取れない、そんな家に住むのが夢だ。

2013/01/25

絶対に戻ってくる

「編集や制作なんて仕事をしていた女性は、1回は辞めても絶対に戻ってくる」。
 そんな発言を聞いたのは、以前働いていた広告代理店に入社して間もないころだった。同僚の女性が、結婚したことを理由に会社を辞めるらしい、という話になったときだ。そして、そのときすでに1度出版社を辞め、また現場に戻ってきていた私は、たしかにそうなのかもしれない、と思ったのだった。
 それから1年とすこしあとに、私はその会社に退職届を出した。表向きの理由は自分の結婚だったけれど、あまりの忙しさにぼろぼろにすり切れ、インプットもアウトプットもままならず、これ以上仕事を続けられない、と思ったからだ。もうこの世界には戻らない、と思って会社を辞めたはずだった。
 でも、結局は、今もまた似たような仕事をしている。成果物さえ見たくなくてすべて処分したというのに、1度のみならず、2度もまた。「ほらな、やっぱり戻ってきただろう?」と言われている自分を想像しては、どこかで苦笑している。

2013/01/21

敢然と立ち向かう

 土曜日に、山形交響楽団の定期演奏会に行ってきた。プログラムはシューマンのピアノ協奏曲と、ブルックナーの交響曲第7番。どちらも素晴らしく、うっかり途中で涙ぐみそうにさえなったほどだった。厚みのあるアンサンブル、美しい音色の数々。日本ではなかなか演奏される機会が多くはないブルックナーに山響が取り組んでいる今、現在進行形で聴けることが幸せだ。
 ブルックナーを聴くと、なぜか「敢然と立ち向かう」という言葉が思い浮かぶ。その言葉は、ブルックナー自身の作曲に対する姿勢と同じなのかもしれない、と思う。

2013/01/12

修理工場

 4ヶ月ぶりに、美容院に行った。
 私の髪は硬くて多くてまっすぐすぎて、美容師さん泣かせだ。どこに行っても、「これは扱いが大変ですねえ」と言われてしまう。パーマをかけるのはかなりの大仕事。おまけに、美容院というところは私にとってはとてもハードルが高い。美容師さんの視線にひるんでしまうのだ。顔のつくりや服装、性格や嗜好などを把握しないといい仕事ができないだろうことは承知しているつもりだけれど、ときに無遠慮とも言いたくなるような目を向けられると、それだけで逃げ帰りたくなる。だから、美容院に行くのは必要以上に緊張することだった。
 今行っている美容院に通いはじめてから、もう5年近くなるだろうか。子どものときに親に連れられて行った美容院以外で、自分で選んで行くようになってからは、通っている期間がいちばん長い。これだけの期間通って、やっと緊張せずに行くことができるようになった。髪質も性格もわかってくれているので、私としても行きやすい。
 緊張するくせに、美容院に行くのは好きだ。誰かの手できちんと扱われ、丁寧に髪を洗ってもらい、傷んだところを取り除き、トリートメントをしてもらうと、それだけで修理された、と思ってしまう。まるでおもちゃや人形の修理工場みたい。そして、私は定期的に修理されることが必要なのだ、と思う。それからまた何ヶ月か、元気に生きるために。

2013/01/11

私の家庭教師

 受験のシーズンになると、必ず思い出す。私の家庭教師は父だった。
 根っから文系の私にとっては、高校受験のときから、ネックは数学と理科だった。数学は好きなところだけは一生懸命やって、わからないところはほったらかし、理科は先生が好きではなかったので質問にも行かない、という状態。見かねた理系の父が、数学と理科についてはみっちり教えてくれることになった。
 地元の新聞に載っている中学生講座を切り取り、仕事から帰ってきた父は、毎日根気よく私の勉強につきあってくれた。勉強に飽きて、適当に「わかった」と返事をすると、「ちゃんとわかってるのか説明してみろ」と言われ、よく呆れられたものだった。
 それにしても、と思う。毎日仕事をして疲れて帰ってきていただろうに、それでも私の勉強を見てくれていたなんて、なんと幸せだったのだろう。
 受験当日に、会場の高校まで送ってくれた父が、「絶対受かる。頑張ってきなさい」と言ってくれたことを、まだはっきりと憶えている。

2013/01/09

信念

 文章が好きな人はその人のことも好きになる、その逆もまた然り、と思ってきたけれど、考えてみればそれは当たり前のこと。言葉は人格であり、意志であり、力であるからだ。

2013/01/06

つくるのも、壊すのも

 ここでまた書き始めよう、と決めたときから、周りへのアンテナが高くなったと思っていた。
 でも、それは違う。きっと、それまでの感度が鈍っていただけのこと。自分の周りに起こること、本を読んでいていいなと思った文章、そういうものに対する感受性が、恐ろしく低くなっていただけのことなのだ。
 そして、今それに気づけてほんとうによかったと思う。枠をつくって閉じこもるのは、いつも自分。そして、枠をつくるのが自分ならば、壊すのも自分しかいない。

2013/01/02

 明けましておめでとうございます。初詣で引いたおみくじは中吉。
 今年1年で叶えたいことを100個書きだしてみた。今年が終わるときに、どのくらい叶ったのか振り返るのが今から楽しみでわくわくしている。
 前の日から続いているのに、年が変わると明らかに空気が違うのはなぜなのだろう、と小さいころから思っている。けれど、まだ理由はわからない。