2013/11/02

預けたものを見つけるだけ

 このあいだ、「そんなにたくさん本を読んで、その本はどうやって見つけるの?」と聞かれた。
 本にしても、洋服にしても、自分を呼んでいるものはわかる。なぜか、私にしかわからない独特の光を発するからだ。
 光を発する、というのが大げさならば、自分が前に預けたものを見つけるだけだと言い換えてもいい。記憶はないけれど、たしかにどこかに預けていたものを探しに行き、それをあとで見つけるだけ。そして、それは自分が持っていたものなのだから、しっくりこないはずがないのだ。「物が自分を呼ぶ」というのはそういうことなのだろうと思っている。
 でも、これは、昨日思い切りよく洋服を買ったことの言い訳なのかもしれないけれど。

2013/10/11

ずっと一緒にいたくても

 どれだけたくさんの人が集まっていても、自分が今出会う人はきらりと輝いて見えて、それはきっとどんな人も同じなのだろう。そんな人とはご縁が深いのだろうし、「はじめて会ったのにはじめてとは思えない」とか、お互いがお互いと会いたい、と思っていることは、もう奇跡のようなものなのかもしれない。
 そして、その関係が変わることは、恐れることではない。ずっと一緒にいたくてもずっと一緒にはいられないからこそ、今一緒にいるのだから。

2013/10/09

薔薇の花

薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花咲ク。
ナニゴトノ不思議ナケレド。
  
薔薇ノ花。
ナニゴトノ不思議ナケレド。
照リ極マレバ木ヨリコボルル。
光リコボルル。
北原白秋『薔薇二曲』
 
 たしかに、何の不思議もないのだけれど、それでも薔薇の木に薔薇の花が咲くのは神秘的で素晴らしいことだ。
 私は、私という薔薇の木に、私という薔薇の花をいっぱいに咲かせたい。

2013/09/12

名刺に残っていたもの

 家中の大掃除をしていた夫が、以前使っていた名刺入れを発掘してくれた。アニエスb.の、トカゲの模様が入った黒い革のもの。それまで使うつもりでいたアルミの名刺入れがなんだか急に恥ずかしくなり、入社したその日の帰りに渋谷で買ったんだった、と思い出す。
 中を見てみれば、私の名刺と、新卒で入った会社の同期や同じ編集部にいた人の名刺、そのあと働いた制作会社で一緒に仕事をした人の名刺などがばらばらの順番で入っていた。まだ旧姓だった自分の名刺をしげしげと眺めて、こんな名前だったんだな、と他人事のように思う。
 ぺーぺーのくせに、周りの先輩や上司には生意気ばかり言って、あの頃の私はひどく扱いにくかっただろう。それでも、いい本をつくりたい、自分にしかつくれない本をつくりたい、と思っていたあのときの情熱が、残っていた名刺に詰まっていたような気がした。
 すこし立ち位置は変わったけれど、自分の名前の印刷をなぞりながら、いいものを書きたい、いい文章にしたい、と誓うように思う。

2013/08/16

夏の記憶

 ずるっ、ペタッ、ずるっ、ペタッ、と赤いビーチサンダルを引きずって歩く。綿のTシャツに麻のショートパンツ。
 夏の午後、プールで泳ぎ疲れて、だらだらと歩いていた子どものときの気持ちを思い出す。早く帰りたいのに、手も足も水がつまったように気だるく、木陰を選びながら必要以上にゆっくり歩いていた。家に帰るなり冷凍庫を開けてアイスを食べて、そのまま扇風機の真ん前で大の字になって昼寝をしていたあの頃。
 たぶん、私はそんなに変わっていないのに、ずいぶん遠くに来てしまった。あのときの私は、今どこにいるのだろう。

2013/07/31

抜けだしたはずの、でも親しい暗闇

つまり、きみのことは、きみが決めなければならないのだった。きみのほかには、きみなんて人間はどこにもいない。きみは何が好きで、何がきらいか。きみは何をしないで、何をするのか。どんな人間になってゆくのか。そういうきみについてのことが、何もかも決まっているみたいにみえて、ほんとうは何一つ決められてもいなかったのだ。
(長田弘『深呼吸の必要』晶文社、21〜22ページより)
 すこし、弱っていた。疲れているところに気が滅入るような話を聞かされ、私自身が揺らいだ。考えに考えぬいて、やっと確立したはずのなけなしの自信は、あっという間にぶれた。そうするとあとは迷路にはまり込むばかりで、抜けだしたはずの、でも親しい暗闇の中にいるようだった。
 以前だったら、こんなときは「誰かが私にとっていちばんいい道を決めてくれたらいいのに」と思っていた。運命というものがあるのならば、きっとそれに沿って生きることになるのだろうから、それなら今すぐそうなってほしい、と。
 でも、何回もそんな場面を通過してみて、そんなことはありえないのだと知った。ひとつひとつ、私自身が決めていくしかないのだ。何が得意で、何をしているときがいちばん楽しく、笑っていられるのか、そんなことを私以上に知っている人は神様しかいない。そして、神様は見守ることしかしないのだから、歯を食いしばりながら決めるのは私しかいないのだ。
 影響されやすい私は、きっとこれからも何回もここに戻ってくるだろう。でも、そのたびに、またここから始めるしかない。暗闇のなかでもがきながら、あるいは勝手知ったるように歩きながら、道を切り開いていくのだ。

2013/07/27

はぐれ鳥の20年後

 今度果歩もここに連れてこよう、と思った。果歩にも仲間が必要だ。どうして今まで気がつかなかったのだろう。木枯し紋次郎ではないのだから、果歩も、はぐれ鳥みたいにいつまでも孤独を気取っているべきではないのだ。
(江國香織『ホリー・ガーデン』新潮文庫、56ページより)
 はぐれ鳥だと自覚しているわけではなかったけれど、仲間とか親友とか、そういう存在は私の人生にはないのだろう、と割り切るしかなかった。いつもどこか疎外感を感じていたし、馴染もうとして無理をすればそれが滲み出て結局は馴染みきれず、またそれに自己嫌悪を覚えることの繰り返し。高校に入るころには、もうすっかり諦めていた。私は人と違う、腹を割って話せるような友達はきっとできないのだ、そう思い込まないと、ともすれば希望を持ちそうになりそうな自分が惨めでしかたがなかったのだ。だからこそ一歩引くくせがついたのだし、人とのつきあいは深入りしないようにしていた。それでいて甘えられそうな人がいれば全身全霊で甘えてしまい、それに疲れて人が離れていく、という悪循環。子どもだったな、と思う。
 いつからこんなに楽になったのだろう。今私のまわりにいてくれる人はみんな気持ちのいい人ばかりで、以前だったら口にすることすら考えられなかった「できない」「わからない」ということを言っても、それをそのまま受け止めてもらえる。親友と呼べる存在がいて、仲間と言える人たちもいる。
 今なら素直に言える。私は親友や仲間が欲しかったのだと。
 そして、20年前の私に言いたい。あなたの将来、そう悪いものじゃないよ。今よりもずっと楽しい毎日が待っている。

2013/07/15

嫉妬

 自分が葛藤した上にやっと諦めたことに対してまだ真剣に悩んでいる人を見ると、羨ましいな、と思う。
 迷ったり悩んだりするのは可能性があるから。そのことに、まだすこしだけ嫉妬する。

2013/07/11

髪を切る理由

 女性は失恋すると髪を切る、と今でも言われるのだろうか。
 このあいだの土曜日に、髪を切った。久しぶりのショート、首をすっきりと出した。この半年あまりで、30センチ弱髪の毛が短くなったことになる。
 理由は失恋ではなくても、髪を切るときは、あとから思い返せば転機のときが多かった気がする。何かに区切りをつけたり、新しい場所に飛び込んでいくための起爆剤になったり、外見を変えることで行動をも変えていくことが多いのだ。ロングから一気にベリーショートにしたこともある。
 今回も、自分で秘めた理由はある。でも、まだそれは言わない。

2013/07/01

爪の余裕

 マニキュアは、余裕があるから塗るものではなく、塗るからこそ余裕が生まれるものなのだという。2日前に爪をピンクに染めたけれど、もっとぱちっとした雰囲気にしたくて、全部落として赤く塗りなおした。
 わかりやすく気分が上がるあたり、単純だな、と思う。でも、その単純なことで気分が上がることこそが、女性の特権かもしれない。

2013/06/30

校正を手がけた本が発売になりました!



4月末から校正を手がけていた本が、
ほぼ同時に発売になりました!
『しつもんマーケティング』と、
『なぜ、ぼくはこんな生き方・働き方をしているのだろう?』の2冊。
著者はどちらもマツダミヒロさんです。
『しつもんマーケティング』は、
マーケティングにおいて大切なことを、
専門用語を使わずに解説しています。
しつもんに答えるだけでファンができるのだからすごいこと。
『なぜ、ぼくは〜』の方は、生き方や働き方に迷ったときに
ぜひ読んでいただきたい本です。
どちらも読みやすいので、
お手に取っていただけると嬉しいです。
『しつもんマーケティング』角川フォレスタ
『なぜ、ぼくはこんな生き方・働き方をしているのだろう?』アース・スター エンターテイメント

2013/06/27

命を削る

 「著者は命を削って本を書く」と言われるが、校正者も同じように「命を削って校正している」のだとつくづく思う。
 4月末から校正を手がけていた本が2冊、ほぼ同時に発売になった。どんなに大変だった本でも、実際に印刷・製本された状態で手元に届くと、本当にほっとする。まだ残るインクの匂いをいっぱいに吸い込み、パラパラとページをめくる。言葉じりに悩み、別の表現に変えたほうがいいのではないか、自分の日本語が間違っているのではないか、と迷いに迷いながら赤ペンを入れた膨大な時間が、この瞬間に報われる。このときのために仕事をしているのだ、と思わずにはいられない。
 校正は「こういうことを言いたいのだろうか」「この表現でいいのか」「これで読者に伝わるのか」という自問自答が果てしなく続く作業だ。明快な正解がないことも多い。そして、本文に間違いがなくて当たり前。その分、ベクトルが自分に向くことも多く、本当に消耗する。それでも、その本がたくさんの読者の方に読んでいただけたと知ったときは、やはりとても嬉しいものだ。
 200ページの原稿の中で、ほんの小さな句読点の位置を修正する、助詞ひとつを変えることにプライドを感じる、そんな校正者でありたい。そしてそれこそが、「神は細部に宿る」ということの証だと思うのだ。

2013/06/20

頭を垂れる

 親は会社員と短大の講師、という環境で育った私には、自分でビジネスをするという感覚がかけらほども備わっていなかった。
 自分で決断してフリーランスという世界に飛び込み、微々たるものではあるけれど、どうやって売上を上げるのか、どうやってビジネスを広げていくのかということを自分の身に置き換えて考えるようになって、会社員とはなんと恵まれているのだろう、といまさらながらつくづくと思う。
 でも、今の私は自分の人生を自分で決めているという手応えがあるのが楽しい。もちろん悩むことも迷うこともたくさんある。それでも、会社という器に自分の体を預けていたときよりも、ずっとずっと自分の人生を大事にできている。そして、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざの真理を、身に沁みて実感している。ベストを尽くし、自分にできる精一杯の仕事をしていかなければ、と心に誓うのみだ。

2013/06/11

小さなごほうび

「だから、私はフラの仲間にも心開いてきたし、新しく知り合うオハナちゃんを恐れなかったし、これからもどんどん家族になっていく自信があるよ。だってけんかもできないようないやな人だったら離れればよかったんだもの。一度創り始めてしまえばどんどん積み重なって大きく深くなっていくものだから。
 そういうふうに意図して創っていくとね、人間関係は絶対的にゆるされている大きな海みたいになるんだよ。あっという間にこわすことができるからこそ、慎重に、まるで赤ちゃんを抱くみたいに、人と人との関係を抱くことができるのよ。」
(よしもとばなな『まぼろしハワイ』幻冬舎、「まぼろしハワイ」116ページより)
 人間関係は絶対的にゆるされている海だ、と思えるようになったのはここ3年ほどのこと。それまでは、人間関係は常に煩わしく、トゲトゲしていないとすぐに嫌な思いをする、そんなものでしかなかった。心を割って話せる人など、ほとんどいないしこのままいないのだろう、と思っていた。
 それが今は、大好きな友達がいて、大切な仲間がいる。たとえ私が何か大きな失敗をしたり、人ができることができなかったりしても、きっとあたたかく受け止めてくれる、そう信じられる人たち。今こうやっていられるのは、人間関係でたくさん嫌な思いをしてきたことの小さなごほうびなのではないだろうかと、実はこっそり思っている。

2013/06/07

響く理由

 私が感動した本を人に勧めても、相手にとってそうなるとは限らない。もちろん本に限らず、音楽や人からの言葉も然りだ。
 感動したり心に沁みたりするのは、その本や音楽に、他者の中に発見できる自分の一部があるからなのだと思う。人はそれぞれ違うのだから、たとえ他の人に響いたとしても、自分の一部がそこに見つからなければ、響かないのは当たり前なのだ。
 私は他者の文章に自分の一部を発見したいし、私の中に発見できる誰かの一部があるような文章を書きたい。

2013/05/24

いちばんのなぐさめ

人が死ぬってどういうことだろう。空を見ながらまた同じことをぼんやりと考える。
もう会えなくなる、急にいなくなる、触れなくなる、体がなくなる……どれもしっくりとは来ない。自分はまだ生きているから。
どんなことがこの状態をいちばんなぐさめたのだろう。時間か、鈍さか、新しいできごとか。
よしもとばなな『スウィート・ヒアアフター』(幻冬舎、119ページより)
彼女と話した回数は、決して多くない。仲がいい友達なら、他にもいた。彼女にとっては、私は「何回か話したことがあるクラスメイトのひとり」だったのかもしれない。
それでも、くっきりと思い出す。体育館から教室に戻る途中、白っぽい光が差し込む廊下で制服のスカーフをもてあそびながら、「ヘビーだねえ」「ほんと、ヘビーだよねえ」とぽつりぽつりと交わした会話の断片、すんなりと伸びた細い手足と大きな目。なぜだかはわからないけれど、お互いがお互いの言葉をちゃんと理解しているという確信があって、きっとそれは彼女も同じだったのではないかと今でも思っている。
もう彼女と会うことはできないけれど、彼女に接していた左半身全体で、びりびりと「通じている」と思ったあのときの感覚は忘れない。忘れられるものではない。そして、その感覚が、彼女がいなくなったことを私が受け入れるための、いちばんのなぐさめだったのだ。

2013/05/19

主観的になれる場所

 いろいろな場所で、客観的に物事を見る役割を求められてきた。もともと、輪の中心にいるよりはすこし離れたところで見ていることが多かったし、その役割を果たすために、最近は必要以上に客観的にあろうとしていたのかもしれない、と思う。
 でも、やっぱり人にはとことん主観的になれる場所も必要だ。そして、私にとってのそれがここなのだろう。ジャッジしない、事実か推測か、そんなこともとっぱらって、私が私の感情を認めて味わう場所。たまにはどっぷり主観に浸ろうじゃないか。
 書き続ける。ずっと、ここで。

2013/05/15

私の歓喜の歌

 11日の夜、山形交響楽団の第229回定期演奏会へ。
 メインプログラムであるブラームスの交響曲第1番は、完成までに21年を要したことで知られる大曲だ。ベートーヴェンを敬愛していたブラームスは、「ベートーヴェンのような巨人の足音を背後に聞きながら仕事をするのがどれほど大変なことか、君たちにはわかるまい」と言ったとされている。ブラームスほどの人でも、ベートーヴェンを超える曲を書かなければと思っていたことは想像に難くない。
 ティンパニの重々しい音が印象的な第1楽章は闇に包まれているが、それが楽章が進むに連れてすこしずつ明るくなっていく。最後の第4楽章はベートーヴェンの第九になぞらえ、歓喜の歌をうたいはじめる。同じ曲であっても、指揮者やオーケストラが違えば、違う曲に聴こえるのは当たり前のこと。音楽はなまものなのだ。それがわかっていてもなお、山響が表現したこの日のブラームスの歓喜の歌は、本当に素晴らしかった。あの音はあの日しか聴けなかったもの。その場にいられたことそのものが、私の歓喜の歌だった。

2013/05/08

夜を運ばれる

 日帰りで東京。
 新幹線でも飛行機でも高速バスでも、空いている限りは窓側の席に座る。窓の外を眺めていると、些事でぱんぱんにはち切れそうになっている頭の中もリセットされるのだ。
 今日も例外なく、往復とも窓際の席。ぼんやりと、夜を運ばれていく。

2013/05/04

言葉で考える

「よっちゃんはなんでも言葉で考えるからだよ。ぐるぐるぐるぐる回っても、答えが出ないことがいっぱいあるでしょう。でもよっちゃんにとって、それこそが時間をやり過ごすやり方なんだと思うから、幼いとかよくないとか思ったことはない。でも、なんでもない空間をただじーっと、何も考えないで見てるような、ぐっとこらえ抜くようなやり方もある。おふくろさんは、そっちのタイプの人なんじゃないかなあ。」
(よしもとばなな『もしもし下北沢』毎日新聞社、234ページより)
 母に、「あんたは直感と勢いだけで生きてるわねえ」としみじみ言われたことがある。そして、自分でもそう思っていた。
 けれど、それは違っていたのだな、と今は思う。論理的とはとても言いがたいけれど、私はなんでも言葉で考えるタイプだ。きちんと言葉で表現できたら何よりもうれしいし、それができなかったときはどうしても残念な思いがつきまとう。自分の思いを100パーセント言葉にできるとは思っていないけれど、できるだけそれに近づきたいと思っている。
 「私は直感で生きている」と言いたかったのかもしれない、と今なら思う。でも、どうしても言葉で考えるのが私。それならそれを認めて、どう表現していくかを考えよう。

2013/05/03

ガラスのかけら

 思い出はきれいなガラスのかけらのようだ。ときどき、すこしずつ取り出してはためつすがめつしながら眺めて、また大切にしまう。

2013/04/22

舟を出す

 ある一定の範囲の人たちにしか通じない言葉がある。母国語然り、方言然り、専門用語然り、恋人同士然り。
 そんな共通言語を多く持っていればいるほど、親密度が高いのかもしれない。久しぶりに連絡を取った大学のゼミの同期と「駅南で舟を出したいね」という言葉を交わしながら、そう思った。ある時期、たしかに私たちは「舟を出す」ことを楽しみにしていたのだった、と懐かしく思い出す。
 そして卒業して15年経った今でも、お互いその言葉を普通に使い、何の不安もなく相手に通じることがうれしい。それは、私たちの関係がほとんど変わっていない、と無謀にも信じられることとほぼイコールだからだ。

2013/04/19

ささやかな復讐

「君の幸せが死んだ人たちにとっての幸せだよ。」
 昇一は言った。
「そう思う人のほうが少ないと思う、人ってもっとどんよりしたものよ。どろどろして、自分でもわからないもやもやを幸せな人にぶつけるもの。」
「それじゃあ、言い直すよ。」
昇一は言った。
「君の幸せだけが、君に起きたいろんなことに対する復讐なんだ。」
(よしもとばなな『彼女について』文藝春秋、177〜178ページより)
 嫌なこともつらいこともたくさんあって、どこにいても馴染めなくて浮いている、腹を割って話せる友達もいなくて孤独だ、と思っていた小さいときの私に、「大丈夫、あと20年くらいしたら本当に楽しい毎日を過ごせているよ」と言ってあげたい。
 人はみな、幸せになるために生まれてくるのだ。私は今、ささやかな復讐をしながら生きている。

2013/04/18

9年目のラブレター

あれから丸8年経ちましたね。
私はいくつか仕事を変わり、とうとう3月には独立して、
自分でも予想外の人生を歩むことになりました。
小さいことをくよくよ気にして、
なんでも悪いほうに考えがちで、
しっかりしているように見られるけれど実はすごく抜けている私が、
それでもこうやって楽しく暮らせているのは、
いつも受け止めてくれるあなたのおかげです。
本当にありがとう。
9年目も、どうぞよろしく。

3月20日お客様を惹き付けるキャッチコピー&肩書きをつくるワークショップ(東京)

3月20日、東京・自由が丘で、河田真誠さんと
「お客様を惹き付けるキャッチコピー&肩書きをつくるワークショップ」を
開催しました。
これまで開催してきた「自分の魅力のつくり方、伝え方」から1歩踏み出し、
実際にキャッチコピーや肩書きを作成しようという内容です。
肩書きやキャッチコピーを考えるときに陥りがちなのは、
自分ひとりでやろうとするために判断基準がわからなくなること。
今回は他の人とシェアすることで意見をもらい、
気づきや学びを反映させていくという形を取りました。
一部、参加者さんからの感想をご紹介します。
ーーー
キャッチコピーや肩書きを考える、決める方法としてたくさん書きだしたほうがいい、
ということはわかっているけど、ひとりでは煮つまってできなかった。
質問に答えながら、書き出す作業をみんなでやる場があって、
また、他の人の答えを聞くことで、新たなアイディアが浮かび、良かったです。
長時間という感覚がなかった。
ーーー
自分の中でモヤモヤしていたいろんなことが今日のこのセミナーでつながりました。
2度目の受講でしたがわかりやすいていねいなセミナーに引きつけられます。
これからも楽しみにしていますので素敵なセミナーをどんどん打ち出してください。
自分を見つめなおす時間を作って今回の復習もかねたいと思います。
河田さん工藤さんありがとうございました。
出会いに感謝。
ーーー
「キャッチコピー」「肩書き」を考える上で質問を切り口にして
多くのことを考える、深める本当に良いきっかけになりました。
今までも何度か考えたことがあるテーマでしたが、
やはり自分一人だと思考の限界もありましたが、
グループでやることや真誠さん、春奈さんの経験や知識からの気付きもあり、
自分なりの「キャッチコピー」「肩書き」にたどりつけたのが良かったです。
楽しく学べた1日でした。
真誠さん、春奈さん、今日をきっかけにかかわれたことに感謝します。
ーーー
いちばんの成果は、自分のミッションを再確認できたことです。
キャッチコピー・肩書きはわかりやすく、
魅力を引き出せるものであることが重要であるという点は、十分理解できたと思います。
しかし、同時に気の利いたキャッチコピー・肩書きを作ることに縛られて
肝心の目的を見失わないようにしたいとも感じて受講していました。
幸いにも、あくまでも目的を踏まえた上での質問スタイルでの進行であったので
目的を見失うことなく受講することができました。
本日の出会いに感謝しつつ、自分のミッションの達成に進んでいきたいと思います。
ーーー
改めて「キャッチコピーって大事だけど難しい」って思いました。
いつもキャッチコピーで悩んでしまうので、そのへんについてのアドバイス、指針が得られたのが良かった。
とにかく、今目の前の仕事、ビジネスを一生懸命やろうと思った。
ーーー
質問されたことで、自分の中にあった隠れた思いに気付けた。
キャッチコピーや肩書きを改めて考える良い機会をいただきありがとうございました。
自分自身にしっくりくるものが見えました。
これを磨いていきたいと考えます。
ーーー
ご参加いただきまして、ありがとうございました!
また開催の際にはお知らせいたします。

3月9日自分の魅力のつくり方、伝え方(大阪)

2013年3月9日に、大阪で河田真誠さんと
「自分の魅力のつくり方、伝え方」というセミナーを開催しました。
2月11日に東京で開催したのと同じ内容です。
この日もとても熱心な方にお集まりいただき、
和気あいあいとした空気の中、
たくさんのワークに一所懸命取り組んでいただきました。
参加者さんからの感想を一部ご紹介します。
ーーー
自己開示や、エピソード、お客さんのことばを集める。
たくさんの文章を読む。説明しない。
先に進むにはバランスをくずすということがすごくよかった。
伝えると伝わるのちがいがわかったので意識してやろうと思います。
ーーー
午前中だけでしたが、ワーク→説明→作業→シェアの流れがとてもわかりやすく、
きちんと腹におとしこめていく感覚が持てました。
例えばなしや、最近の事例などもふんだんで、お2人が常日頃から、いろいろなことを
意識して過ごしていることがよくわかり、同じ講師として学ぶところが多かったです。
しんせいのテンションの高さと、はるなちゃんのゆったり感が絶妙でした。
ーーー
自分の仕事や、らしさ、魅力を客観的に観る機会になりました。
楽しかったー。
家で復習して、実生活で活かしていきたいなー。
ーーー
漠然としていた自分のこだわりや、店のいい所が一つ一つかんがえることで
つながっていくと告知文になるというのがおもしろかった。
お客様を知るということが、自分の仕事の集客になるということも大きな気づきでした。
ーーー
たくさんのワークで実際に自分の言葉で書き出すことにより、
自分の考えやどうしていきたいかがより明確になりました。
その都度、他の人とのシェアタイムで声に出して言うこともすごく良かったです。
ありがとうございました。
ーーー
このセミナーは、5月末に福岡でも行う予定です。
詳細が決まりましたら、またお知らせいたしますね。

2013/04/12

春の香り

 水曜日に友達と行った温泉に併設されていた直売所で、ふきのとうを買った。小ぶりのものが、片手に乗るサイズのパックにぎっしり入って150円。直売所のおじさんには「天ぷらにするのか?」と聞かれたけれど、最初から、ふきのとう味噌を作るつもりだった。
 ふきのとう味噌を作るのははじめてだから、ネットでざっとレシピを検索してから作業を始めた。お湯を沸かしておいて、外葉をはずして固い軸を落とすそばから、自らのあくでふきのとうはみるみるうちに黒くなっていく。作業のスピードを早めて、沸騰したお湯の中に落とす。家の中に広がる春の香り。さっとゆでたあとは1時間弱ほど水にさらしてあくを抜き、細かく刻んで油で炒め、味噌とお酒とお砂糖とみりんで味つけし、しばらく練ってできあがり。ほんのすこしだけ、スプーンですくってつまみ食い。思ったよりも、ずっと簡単にできた。
 あまっていた瓶にできあがったふきのとう味噌を詰めて、よく冷ましてから冷蔵庫へ。つやつやの炊きたてごはんにのせて食べるのが楽しみだ。きっと、口の中いっぱいに春の香りが広がるだろう。

2013/04/10

ラジオと野球中継

「梨果さんあんまりラジオを聴いたことがないのね」
 私は、華子の愛用のラジオをちらっとみた。横長の四角形、ひっぱるとのびる銀色のアンテナ。
「ラジオの番組がおわるときってね、親しい人が帰っちゃうときのような気がするの。それが好き。私は小さい頃からいつもラジオを聴いていて、親しい人にまだ帰ってほしくないって思っても、やっぱり時間がくると帰っちゃうの。きちんとしてるの、ラジオって」
(江國香織『落下する夕方』角川文庫、191〜192ページより)
 私は以前から夜に弱いので、ラジオの深夜番組にあまり馴染みがない。ごくたまに、オールナイトニッポンの2部を聴いていたくらい(夜更かしではなく、もちろん早起きで、だ)。
 だらだらと際限なく続くような気がするテレビ番組より、ラジオはよほどさっぱりしている。できるだけ言葉を尽くして説明してくれるし、きちんきちんと終わる感じが好ましい。テレビよりも親密な感じ。そういえば、小さい頃に野球のテレビ中継が延長にならずに終わってしまうと、父と一緒にラジオに移動して実況中継を聴き、見えはしないプレーに一喜一憂していたのを思い出す。

2013/04/04

美しいとは

 「美しい」とは、一体どういうことなのだろう。
 存在自体が美しいものなのか。意思を持つから美しいのか。
 それとも、人が見るから、脳の中で美が生まれるのか。

2013/04/01

自分で引き受ける以外にない

 もう、社会人何年目、と数えるような年ではなくなってしまったけれど、それでも4月1日というだけで背筋がしゃんとする気がする。
 新卒で勤めた出版社は、3月1日から1ヶ月かけて新人研修を前倒しで行っていた。それに間に合わせるために、東京への引っ越しは2月下旬。引っ越してきた次の日に、自分が乗る朝の電車の混み具合を軽い気持ちで駅まで見に行って、今度からあんな電車に乗って通勤するのか、と青ざめて帰ってきたことを覚えている(そして案の定、満員電車に耐性のなかった私は恐れをなしてなかなか乗り込めず、まるでマンガかドラマのように、駅員さんにギューッと押し込められる羽目になったのだった)。研修は完全なOJTで、1週間ごとで各部署を持ちまわり、書店にも見習い書店員として立たせてもらった。研修も終わりに近づいてくると、同期の話題は配属先で持ち切り。大卒の同期は全員が編集志望で、でもだからこそ、私自身は営業になるんだろうなあ、と半ば諦めていた。
 改めて4月1日に行われた入社式での辞令交付で、私は編集部に配属された。そして、私以外の全員が営業配属だった。いまもって、何を配属の判断基準にしたのかはまったくわからない。最初から編集部に配属になったのはとても嬉しかったけれど、同時に私は同期と仕事の話ができなくなることを覚悟し、そしてその予想が外れることはなかった。自分の仕事は孤独であっても自分で引き受ける以外にない、たとえ同期でも誰とも共有できないのだということを本当に実感したのは、あの日がはじめてだったかもしれない。
 5人いた大卒の同期は、もう今は1人しか残っていないはずだ。この年齢ならばそろそろ役職がついているだろう。あのころ描いた未来とはずいぶん遠く離れたところに来てしまったけれど、それでもあの会社にいたからこそ今の私があるんだな、と懐かしく思い出す。

2013/03/30

1枚のショートパンツ

 ずいぶん長いこと、どこに行くのにも頑なにジーンズ、という時期があった。
 毎日スーツを着なければならなかった会社を退職したら、とたんに何を着たらいいのかがわからなくなった。何が似合うのかも何が好きなのかもわからず、思考停止の状態でただ服を選ぶだけ。だから、あたりまえだけれど何の愛着も持てず、服を買うのがさらに苦手になるという悪循環からなかなか抜け出せなかった。
 昨日、ショートパンツを買った。自分でショートパンツを買うのははじめてのこと。なぜかどうしても気になってしかたがなく、いつもなら理性で押しとどめるのに、自分でもよく思い切ったものだ、とどこか他人事のように思う。
 ファッションは自分自身。それならば、たった1枚のショートパンツが、いろいろなしがらみや枠から解放され、のびのびと自分自身を表現できるきっかけになるのかもしれない。

2013/03/27

残り香のように

 すべてを覚えていることも、すべてを忘れることもできないからこそ、記憶は残り香のように香り立つのかもしれない。
 心のなかのそれは、きらきらと、もしかしたら実物以上にきらめいていて、いつでも私を慰め励ましてくれる。

2013/03/25

春の兆し

 就職するころまでは、「いちばん好きな季節は春」と言ってはばからなかった。自分の名前にも入っているくらいだし、と。
 突然、それが苦手になったのはなぜなのだろう。以前は好ましいばかりだった、ざわざわと新しく始まる雰囲気や、急に景色が色つきになり、あらゆる生命が蠢き出す感じ、それらはいったん気になり始めるとどこまでも疎ましくなるのだから不思議なものだ。もしかしたら、私自身が決して変化を好むわけではない性格であることも関係しているのかもしれない。
 それでも、ここ数年は春の兆しを見つけると頬がゆるむ。東京では、一足も二足も早くお花見気分を味わうこともできた。つけているストーブもよく止まるようになった。もう、ダウンコートはクリーニングに出してもいいかもしれない。

2013/03/23

ふるさとは

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」、と思っていた。そう思うものなのだと思って、18歳の私は家を出たのだし、就職するときも山形にだけは帰らないと思ったのだった。
 この2週間、京都、大阪、東京と山形を行き来していた。出かけていると生活のリズムが狂うこと、食事が適当になりがちなこと、なかなか熟睡できないことはやや気になるけれど、旅をするのは大好きだし、移動も苦にならないので、友達や仲間と会い、目新しい風景の中を歩くのも楽しい。
 それでも、東京駅で新幹線に乗り込み、周りが山に囲まれた見慣れた風景を目にすると、自分でも嫌になるほどほっとする。バスの行き先を何回も何回も確認しなくてもいいし、タクシーに乗るなら自分で通る道を指定できる、お気に入りのお店がいくつもある、呼吸をするのが楽、そんなことが、街が体に馴染んでいるということなのだろう。東京よりもひんやりとした空気をいっぱいに吸い込んで、やっぱりここが私のふるさとなのだ、と思わずにはいられなかった。
 年々、山形が好きになる気がする。

2013/03/18

大いなる矛盾

 「ありのままでいいんだよ」、と言ってもきたし、言われてもきた。
 でもきっとそれは、何者にもなれない私をも受け入れることときっとイコールで、今の私は、人にはそう言うくせに自分はそれではいやだ、という大いなる矛盾を抱えている。
 まったく、もう。

2013/03/07

新しい靴

 「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする」、と須賀敦子は書く。
 2週間ほど前、新しい靴を買った。6.5センチヒールのショートブーツ。
 はじめてヒールのある靴を買ったのは学生時代。今思えばほんの3センチほどのヒールだったが、それでもその靴に足を入れて立ち上がったときの、世界がひろびろした感じは忘れられない。背が小さいこともあって、それからはヒールの靴ばかり買った。どんなに足が痛くなっても、もともとの自分の目線よりすこしでも高くなれば、それでよかった。普段の私では見えないものが見える気がしたのだ。でも、山形に帰ってきてからは、めっきりヒールの靴を履くことはなくなり、持病だった腰が悪化してから、私はヒールのある靴をすべて処分した。
 どんなに少なく見積もっても、そんな靴を買うのは6年ぶりだ。もしかしたら、新しい靴を履くのにあんなにわくわくするのも、同じ時間だけ、久しぶりなのかもしれない。今の私はひろびろとした世界を早く見たくて、雪解けの日を心待ちにしている。

2013/03/04

 「本があれば生きていける」というより、「本がなければ生きていけない」のだと思う。私にとっては、本は水であり、空気であり、命だから。

2013/02/28

春を告げる花

 春告鳥といえばウグイスのことだが、私にとって春を告げる花はミモザだ。淡い黄色のふわふわした小花が枝いっぱいに咲く。東京で暮らしていたときは、このくらいの時期になると花屋さんを覗くのが楽しみだった。ミモザがあったら買って帰り、黄色に華やいだ部屋の中で、私もうきうきしていたものだった。そういえば最近、ミモザを買ってないな、と思う。
 一気に春めいた今日は、一日中屋根からの落雪の音が響いていた。
 もうすぐ、春が来る。

2013/02/25

調律師のように

 気持ちが波立ったり、必要以上にぶれていると感じたら、調律師さながらにバッハをかける。フーガ、シャコンヌ、コラール、インベンション、そしてゴルトベルク。バッハを聴くと、物事があるべきところにおさまり、気持ちも鎮まるのだから不思議なものだ。
 ときどき、バッハはまるで数学者のようだ、と思う。たどりつく正解が事前にわかっていて、その正解を導きだすために、ただ淡々と美しく音を積み重ねているだけのよう。数式が美しいのならば、バッハの曲も、そして楽譜さえも美しいに決まっているのだ。

2013/02/24

腕時計

 たとえば洋服や靴を欲しがるのと同じようなサイクルで、腕時計を欲しがる人はいるのだろうか。
 私が持っている腕時計はふたつ。就職するときに買った、普段使っているお気に入りのものと、夫がプレゼントしてくれたBaby-Gだけだ。
 普段使いのものは、フェイスがシャンパンピンク色をしていることと、秒針が明るいブルーなのが気に入っている。当時の私にとってはちょっと高めの値段で、それでもどうしてもこの腕時計が欲しくて、思い切って買ったものだ。使っている以上傷がつくのは当たり前だと思っているので、落としたりぶつけたりしても気にしない。必要以上の気遣いなく、無造作に扱えるものが、私にとって使いやすい時計だ。
 そして、この先新しいものを買うつもりは、今のところはまったくない。

2013/02/20

かなわない

 ときどき、無性に詩を欲するのはなぜなのだろう。
 谷川俊太郎の「朝のリレー」や「ぼくもういかなきゃなんない」、茨木のり子の「自分の感受性くらい」、高村光太郎の「道程」、「あどけない話」、「元素智恵子」。いちばん好きな宮沢賢治の「告別」に至っては、読むたびごとに、涙ぐみさえするのだ。
 かなわない、と思う。限られたごく短い言葉で、ここまで表現されてはかなわない。何か読みたいと思う気持ちは小説でもエッセイでも満たされるけれど、詩を読みたいと思ったら、その欠けた部分は詩でしか埋まらないのだ。
 詩を書ける人に心の底から憧れ、また嫉妬する。

2013/02/18

 今でも絵を描ける人はうらやましいし、写真を撮れる人に憧れる。グラフィックデザインや彫刻はなおのことだ。文字はすべてを伝えられる、でもそれでいてすべてを伝えきれるわけではない、とわかっているつもりでもいる。
 でも、ときどき、言葉の無力さに打ちのめされる。10の言葉より、1回のハグで伝わることのほうが多いのかもしれない。
 それでも、自分と他人のあいだに薄い膜がある限り、言葉にしないと伝わらない。表現したい思いがあり、それを表現できる手段を手に入れたことを、今は心から幸せに思う。

2013/02/09

霜を聞く心

 寒き夜に霜を聞くべき心こそ敵に逢うての勝は取るなれ
 大学受験の直前に、部活の後輩たちが激励のために色紙に寄せ書きをしてくれた。そのときに、顧問の先生のひとりが書いてくれた歌だ。なぜだかとても印象に残り、それ以来折に触れて思い出す。文字通り浮き足立っているときでも、この歌を口にすると不思議と気持ちが鎮まるのだ。
 いつでも、どんなときでも、霜を聞く心を忘れないでいたい。それでしか得られないものがあると思うから。

2013/02/07

きっと変わらない

 今でこそ運転免許を持ち、自分の車があるから機会は少なくなったが、路線バスに乗るのが今でも苦手だ。山形でもごく限られた路線にしか乗らないし、静岡でも東京でもほとんど乗ったことがない。
 どこに連れていかれるのか、本当に降りたい停留所に停まるのか、そんなことが心配なのだ。不安ですうすうする感じ。どんなに事前に調べて、必ずこの停留所に停まるとわかっていても、その気持ちは消えない。どこに連れていかれるのかという点では電車も同じだろうに、電車だとそこまでは思わないのだから不思議だ。
 私が最初についたピアノの先生の家は、バスに15分ほど乗らないと行けない場所にあった。小学校に入ってまもないころから、楽譜の入ったレッスンバッグを提げて、ひとりでバスに乗ってレッスンに通っていた。今の私は、母からもらったバス代の小銭を、手に汗をかきながらぎゅうっと握りしめて、緊張しながらバスに乗っていた私と、きっとそれほど変わらない。

2013/02/05

愛憎うずまく場所

 一時期、まるで趣味のように引っ越しを繰り返していたことがある。これまでに引っ越した回数は11回、自分でも呆れる。
 街の記憶はさまざまあれど、自分が一生懸命生きた場所は思い出深い。静岡しかり、イギリスしかり、神保町しかり。中でも神保町は、忘れようと思っても忘れられない、愛憎うずまく場所だ。
 もともと、出版社で働きたいという希望は、ちっとも持っていなかった。なかなか内定がもらえず、鬱々としていたときに新聞に載っていた小さな求人情報を見つけ、なぜか「私はここに入ることに決まっている」という根拠のない確信を持って履歴書を送ったのは7月に入ってから。上京して、1日で小論文の試験と3回の面接を受け、次の日には内定の連絡をもらったのだった。
 編集部に配属されてからは、仕事に追われる毎日だった。専門出版社だったその会社の分野に私は疎く、「こんなことも知らないのか」という目で見られることも多かったし、「地方の公立大学卒の、専門知識もない、しかも女性に何ができる」と言われたこともある。悔しくて悔しくて、見返すためにますます仕事にのめり込んだ。パンツスーツとパンプスは戦闘服だったし、神保町駅に降り立つと、自然に仕事のスイッチが入るものだった。そんな中で、外出の帰りや仕事が早く終わったときに少しだけ書店に寄るのが、ほんのつかの間の息抜きだった。志半ばで会社を辞めてからは、大好きな出版業界にいられなくなった自分が歯がゆくて、神保町を歩くことは一切なくなった。
 昨年、何年ぶりなのか思い出せないほど久しぶりに神保町を歩いた。神保町にはあらゆるところに思い出が溢れている。自分が作った本の増刷が決まり、弾むように書店に行ったこともあるし、反対に大きな失敗をやらかして、ぐすぐすと半泣きになりながらうつむいて歩いたこともある。あのころ、神保町という場所は、私の生活の、ほとんどすべてだったのだ。
 先日借りてきた「森崎書店の日々」という映画を観ていたら、そんなことを思い出した。神保町の、あの本の匂いが、ほんのすこし鼻先をかすめたような気がした。

2013/02/04

踏み出さなければ

 世の中には、何の躊躇もなく新しいことに挑戦し、結果を出しつつ飄々としている人もたくさんいるのだ、と知ったときの衝撃は大きかった。
 私は常に怖いのだ。自意識過剰と言われてしまえばそれまでだけれど、そうは見えなくてもいつも腰が引けて、ぶるぶる震えている。それを悟られたくなくて、いらない虚勢を張っている。
 それでも、踏み出さなければならない時が来たのだ、と思う。どんなに怖くても、前に進まなければならない。

2013/02/01

自分へのプレゼント

 目が覚めたら、障子の隙間から月の光がやわらかく寝室に降りそそいでいた。
 自分への誕生日プレゼントに、新しい辞書を買おうと思っている。いつも寄り添ってくれる、この先長く使えそうな辞書を。

2013/01/31

安寧

 「すみずみまで目が行き届く」という言葉がもたらす安寧が好きだ。たとえば調律されたピアノ、整然と本が並べられた本棚、きちんと手入れされた革のバッグ、好きな作家の文章。そこにあることを赦され、それと等量の関心を持たれ、手をかけられているということに安心するのかもしれない。

2013/01/30

ささやかな夢

 断言できる。私が今までいちばんお金をかけたものは、本だ。
 小さいときから本を読むのが好きだった。自分では覚えていないが、読み聞かせもだいぶしてもらったという。おもちゃや人形はあまり買ってもらえなかったけれど、本だけは十分に与えてもらった。どこにいても、本のあるところが自分の居場所だったし、何も読むものがないと不安になる。10歳の誕生日に本を10冊買ってもらい、2日で全部読み切ってしまって「もっと買って」と言って呆れられたこともある。旅先の東京や京都で3万円ほども本を買ってしまい、お財布は心もとなくなるやら荷物は重くなるやらで大変な思いをしたこともある。引越し屋さんに、本の多さに驚かれるのも常だった。
 今や、本の形態もさまざまだ。私自身、電子書籍を読むことも多くなった。でも、やっぱり新しく買った本の表紙をめくるときの、あの高揚感は何ものにも代えがたい。紙の質感、インクの香り、紡ぎだされるものがたり。今でも、私の居場所は本のあるところ。天井まで本棚があって、上のほうははしごにのぼらないと本が取れない、そんな家に住むのが夢だ。

2013/01/25

絶対に戻ってくる

「編集や制作なんて仕事をしていた女性は、1回は辞めても絶対に戻ってくる」。
 そんな発言を聞いたのは、以前働いていた広告代理店に入社して間もないころだった。同僚の女性が、結婚したことを理由に会社を辞めるらしい、という話になったときだ。そして、そのときすでに1度出版社を辞め、また現場に戻ってきていた私は、たしかにそうなのかもしれない、と思ったのだった。
 それから1年とすこしあとに、私はその会社に退職届を出した。表向きの理由は自分の結婚だったけれど、あまりの忙しさにぼろぼろにすり切れ、インプットもアウトプットもままならず、これ以上仕事を続けられない、と思ったからだ。もうこの世界には戻らない、と思って会社を辞めたはずだった。
 でも、結局は、今もまた似たような仕事をしている。成果物さえ見たくなくてすべて処分したというのに、1度のみならず、2度もまた。「ほらな、やっぱり戻ってきただろう?」と言われている自分を想像しては、どこかで苦笑している。

2013/01/21

敢然と立ち向かう

 土曜日に、山形交響楽団の定期演奏会に行ってきた。プログラムはシューマンのピアノ協奏曲と、ブルックナーの交響曲第7番。どちらも素晴らしく、うっかり途中で涙ぐみそうにさえなったほどだった。厚みのあるアンサンブル、美しい音色の数々。日本ではなかなか演奏される機会が多くはないブルックナーに山響が取り組んでいる今、現在進行形で聴けることが幸せだ。
 ブルックナーを聴くと、なぜか「敢然と立ち向かう」という言葉が思い浮かぶ。その言葉は、ブルックナー自身の作曲に対する姿勢と同じなのかもしれない、と思う。

2013/01/12

修理工場

 4ヶ月ぶりに、美容院に行った。
 私の髪は硬くて多くてまっすぐすぎて、美容師さん泣かせだ。どこに行っても、「これは扱いが大変ですねえ」と言われてしまう。パーマをかけるのはかなりの大仕事。おまけに、美容院というところは私にとってはとてもハードルが高い。美容師さんの視線にひるんでしまうのだ。顔のつくりや服装、性格や嗜好などを把握しないといい仕事ができないだろうことは承知しているつもりだけれど、ときに無遠慮とも言いたくなるような目を向けられると、それだけで逃げ帰りたくなる。だから、美容院に行くのは必要以上に緊張することだった。
 今行っている美容院に通いはじめてから、もう5年近くなるだろうか。子どものときに親に連れられて行った美容院以外で、自分で選んで行くようになってからは、通っている期間がいちばん長い。これだけの期間通って、やっと緊張せずに行くことができるようになった。髪質も性格もわかってくれているので、私としても行きやすい。
 緊張するくせに、美容院に行くのは好きだ。誰かの手できちんと扱われ、丁寧に髪を洗ってもらい、傷んだところを取り除き、トリートメントをしてもらうと、それだけで修理された、と思ってしまう。まるでおもちゃや人形の修理工場みたい。そして、私は定期的に修理されることが必要なのだ、と思う。それからまた何ヶ月か、元気に生きるために。

2013/01/11

私の家庭教師

 受験のシーズンになると、必ず思い出す。私の家庭教師は父だった。
 根っから文系の私にとっては、高校受験のときから、ネックは数学と理科だった。数学は好きなところだけは一生懸命やって、わからないところはほったらかし、理科は先生が好きではなかったので質問にも行かない、という状態。見かねた理系の父が、数学と理科についてはみっちり教えてくれることになった。
 地元の新聞に載っている中学生講座を切り取り、仕事から帰ってきた父は、毎日根気よく私の勉強につきあってくれた。勉強に飽きて、適当に「わかった」と返事をすると、「ちゃんとわかってるのか説明してみろ」と言われ、よく呆れられたものだった。
 それにしても、と思う。毎日仕事をして疲れて帰ってきていただろうに、それでも私の勉強を見てくれていたなんて、なんと幸せだったのだろう。
 受験当日に、会場の高校まで送ってくれた父が、「絶対受かる。頑張ってきなさい」と言ってくれたことを、まだはっきりと憶えている。

2013/01/09

信念

 文章が好きな人はその人のことも好きになる、その逆もまた然り、と思ってきたけれど、考えてみればそれは当たり前のこと。言葉は人格であり、意志であり、力であるからだ。

2013/01/06

つくるのも、壊すのも

 ここでまた書き始めよう、と決めたときから、周りへのアンテナが高くなったと思っていた。
 でも、それは違う。きっと、それまでの感度が鈍っていただけのこと。自分の周りに起こること、本を読んでいていいなと思った文章、そういうものに対する感受性が、恐ろしく低くなっていただけのことなのだ。
 そして、今それに気づけてほんとうによかったと思う。枠をつくって閉じこもるのは、いつも自分。そして、枠をつくるのが自分ならば、壊すのも自分しかいない。

2013/01/02

 明けましておめでとうございます。初詣で引いたおみくじは中吉。
 今年1年で叶えたいことを100個書きだしてみた。今年が終わるときに、どのくらい叶ったのか振り返るのが今から楽しみでわくわくしている。
 前の日から続いているのに、年が変わると明らかに空気が違うのはなぜなのだろう、と小さいころから思っている。けれど、まだ理由はわからない。