2012/12/31

 イメージすること、確信することができたら、願いは叶うはず。
 来年も、絶対に楽しい年にする。そして、自分が立つべき場所にすっくと立ち、変化を恐れずに楽しもう。
 ここでこうやってまた書きはじめることができて、ほんとうによかった。読んでくださったみなさん、ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください!

2012/12/30

傷の共有

 傷ついた、とか、傷つけてしまった、と思うときに、必ず思い出す文章がある。
 「傷を気に病むなんてばかげてるわ」
 ある日私は指摘した。
 「生きていれば、物も人も傷つくのよ。避けられない。それより汚れを気にしたほうが合理的でしょう? 傷は消せないけど汚れは消せるんだから」
 夫は表情も変えず、違うね、と、言った。
 「汚れは、落とす気になれば落とせるんだからほっといていいんだ。汚れることは避けられない。傷は避けられるんだから、注意深くなりなさい」
 私はびっくりしてしまった。人は(たとえ一緒に暮していても)、なんて違う考え方をするのだろう。
 「避けられないのは傷の方よ。いきなりくるんだもの」
 私は主張する。
 「生活していれば、どうしたって傷つくのよ。壁も床も、あなたも私も」
 主張しながら、なんだかかなしくなってしまった。
(江國香織『とるにたらないものもの』集英社、「傷」79〜80ページより)
 たしかに、どうしたって生きていれば傷つく。傷つくのだし、傷つけるのだからそれはしかたがないと思う。しかたがないから、それでも、と前を見るしかない。傷のいいところは、いつしか忘れ、忘れないまでも薄れるところなのだと思っている。そして、それよりもいいのは、傷を共有したという、ひりひりした記憶なのかもしれない。

2012/12/29

移動する視点

 世の中には、歌を聞くときに歌詞に注目している人がたくさんいるらしい。
 私は絶対音感を持っている。音がドレミで聞こえるという、あれだ。小さいときにそういうレッスンを受けたせいなのか、それが当たり前だと思っていたし、世の中の人はみんなができるのだと思っていた。どの曲を聞いても、その音の音階がわかる。だから、私にとっては、歌詞は音階の代わりに発するものでしかない。今でもそうだ。
 このあいだお風呂の中でラジオを聴いていたら、あるバンドの歌詞について語ろう、という番組が放送されていた。「そのバンドの曲の歌詞に共感し、励まされ、支えられたことがあるのではないだろうか」というコンセプトの番組だった。たくさんのリスナーが、「この曲のここの歌詞がいいのだ」というエピソードやメッセージを送っていたけれど、私にはどれもはじめて認識する歌詞ばかりだったのだ。私もそのバンドが好きで、頻繁に歌っているのにもかかわらず、だ。
 私の言葉への偏重っぷりは自分でも呆れるほどだけれど、メロディがあるととたんに音しか聞こえなくなるらしい。ちょっとおもしろい発見だった。

2012/12/26

言い切る覚悟

 ーーテレンティウスという古代羅馬の劇作家の作品に出てくる言葉なのだ。セネカがこれを引用してこう言っている。「我々は、自然の命ずる声に従って、助けの必要なものに手を差し出そうではないか。この一句を常に心に刻み、声に出そうではないか。『私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない』と」。
 ディミィトリスは瞬きもせず私の目を真っ直ぐに捉え、力強く言い切った。弱くなった午後の日の光が部屋に満ち、ムハンマドのつくるスープの匂いが調理場から流れてきた。
 帰国してからも、私は永くこの言葉を忘れない。
(梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』角川文庫、84ページより)
 私自身に、「私に無縁なことは一つもない」と言える覚悟は、まだない。

2012/12/24

恐ろしい言葉

 この時期になると、他人が発する言葉が怖くなる。「メリクリ」「あけおめ」「ことよろ」がその理由だ。
 理由は判然としないのだが、私はとにかくこの3つの言葉が苦手だ。今こうやって書くことすら嫌々ながらなのだ。どんな顔をしてそれを発しているのか、他人の顔を見るのも恐ろしいとまで思う。そして私にとっては不都合なことに、それらの言葉はもうすでに市民権を得ているらしい。あちこちから聞こえるそれらに、私はいちいち気持ちを揺らされることになる。自分でも、なんと大袈裟なことよ、と思わずにはいられないのだけれど。
 それはそれとして、メリー・クリスマス! よいクリスマスを。

2012/12/22

父のような存在

 車を運転していたときに、以前働いていたビルの前を通ったら、とたんに記憶があふれてきた。
 30代も半ばになり、翻弄され続けているとはいえ、まがりなりにもこれまで仕事をしてこられたのは、手本となる2人の上司がいたからだ。そのうちのひとりが、そのビルで働いていたときの上司で、会うことは少なくなったけれど今でも尊敬している。自分の会社を経営しながら、ある団体の事務局で幹事を務めていて、とにかく気遣いと段取りの人だった。最初に働いた出版社でも、尊敬すべき上司に段取りについて嫌というほど叩き込まれ、そしてその団体で鍛えあげられたのだと言える。今の仕事でそういう場面を仕切ることができているのだとすれば、ひとえにその2人の上司のおかげだ。
 10年ほど前、私もちょうどそれだけの分年若く、経営者だけの集まりの中で、常に生意気なことを言っていた私はとてもかわいがってもらった。お酒を飲むことも仕事のうちだったし、セクハラまがいのこともあったけれど、経営者という人種の仕事のしかたに触れ、身近で学ばせてもらったのは何よりも大きな経験だった。今でも何かと気にかけてくれ、街中で会うと「おう、元気でやってるのか」と声をかけてくれる、父のような存在の人たちがいることをありがたく思う。

2012/12/20

伝わりきらないことがわかっていても

 その立場によって、見えている景色はまったく違うのだろう。同じ景色を見ても感じかたが違えば、たとえ会話上は同意を得られていても、それがほんとうに同意かどうかは誰にもわからないのだ。
 だからこそ、もっと話したい。もっと知りたい。
 言葉では伝わりきらないことがわかっていても、それでも言葉を使ってでしかわかり合えないのならば、言語化する労苦を惜しんではいけないのだ、と信じている。

2012/12/16

 「自分は何が好きで何が嫌いか。他人がどう言っているか、定評のある出版社が何を出しているか、部数の多い新聞がどう言っているか、じゃない、他ならぬ自分はどう感じているのか。
 大勢が声を揃えて一つのことを言っているようなとき、少しでも違和感があったら、自分は何に引っ掛かっているのか、意識のライトを当てて明らかにする。自分が、足がかりにすべきはそこだ。自分基準(スタンダード)で「自分」をつくっていくんだ。
 他人の「普通」は、そこには関係ない。」(梨木香歩『僕は、そして僕たちはどう生きるか』理論社、143〜144ページより)
 どんなにマイナーな意見であっても、私は自分の考えをきちんと持って生きていたい、そう思ったのが政治を学ぼうと思った理由だった。
 そして、今でもそれは同じだ。他の人の意見に惑わされて、それが自分の意見だと思い込み、思考停止のスイッチを押すことだけはしたくない。自分の信条にだけは、いつでも素直に従っていたい。

2012/12/15

続けられていることは、その才能があるということなのかもしれない、と思う。
私が本を読んだり文章を書き、どんなに満足できなくてもやめられないように。

2012/12/10

街を感じる

 地に足を着ける、ということについてなんとなく考えていたら、ちょうど読んでいた本の中にこんな文章を見つけた。
 「『見慣れた街の中で』の序文で、牛腸は「われわれ一人一人の足下からひたひたとはじまっている、この見慣れた街」と書いている。街は、頭上からでも、背中からでも、お腹からでもなく、「足下からひたひたと」生起してくるものだ。出発点にある足下の感覚におぼれないために、地に膝をつけるのはまさに理想的な姿ではないだろうか。」(堀江敏幸『回送電車III アイロンと朝の詩人』中公文庫、「存在の「いざり」について」59ページより)
 胸椎カリエスを患い、その分地面と自分の距離が近かった牛腸茂雄だからこそ、「足下からひたひたと」街を感じることができたのだろうか。
 牛腸茂雄の撮った、木の前でふたりの女の子が手をつないでいる写真を思い出している。

2012/12/05

朋遠方より来たる有り、亦楽しからずや

 「朋遠方より来たる有り、亦楽しからずや」と言ったのは孔子だが、たしかにこんなに楽しいことはない。それが、私が朋の立場だったとしてもだ。
 出張で北海道に来ている。大学を卒業してから15年、それから1回しか会っていない学生時代の友達に、帯広で会うことができた。不思議なもので、どれだけ会っていなかったとしても、会うとたちまち学生時代にスリップするのがおもしろい。ずいぶん遠くへ来たはずなのに、学生時代の気の置けない友達のままなのだ。お互いまったく違う生活をしていても、心から信頼している。
 13年分の空白はたった1時間半では埋められず、またの再会を約束して別れた。こうやってまた友達とつながれるのは、なんと幸せなことなのだろう。

2012/11/30

 理由を知りたい。理由の向こう側にある物語や風景に、たまらなく惹かれるから。

2012/11/29

天才が見る景色

 五嶋龍のヴァイオリンを聴きに仙台へ。
 プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ、パガニーニの変奏曲、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ、ラヴェルのツィガーヌ、と難曲ばかりなのに、軽やかに、そして何よりも楽しそうに弾いているのがとても印象的だった。ころころとした音の粒が会場に広がっていく。挑んでいるのだけれど、そこここに感じられる余裕。必死さは微塵もない。演奏しているあいだに客席を見渡し、微笑み、堂々とした風格さえ感じさせる。3曲のアンコールを含め、終始圧倒されて帰ってきた。しばらく他の音は何も入れたくなくて、家でも五嶋龍ばかり聴いている。
 天才が目にするのは、美しい景色なのだろうか。

2012/11/25

工夫、経験、進化

 カッコウやホトトギス、ジュウイチなどは、他の鳥の巣に卵を産みつけて育ててもらう「托卵」をする鳥だ。卵から孵った雛は、仮親の卵を巣の外に落とし、仮親に自分だけを育ててもらう。仮親の卵を落とすために、雛の背中が窪んでいるということまでは、私も知っていた。
 なんの気なしにお風呂の中で聴いていたラジオで、おもしろい話を耳にした。
 1羽しか巣にいないカッコウなどの雛は、仮親の卵も孵ったように見せかけて数羽分の餌をもらうために、そのいないはずの雛の分まで自分で鳴くのだそうだ。本来なら「ピー」「ピー」というテンポで鳴くはずなのに、仮親を騙すために「ピーピーピーピー」と鳴くという。また、薄暗いところに巣を作るコルリやルリビタキに育ててもらうジュウイチの雛は、まるで自分以外にも餌を欲しがっている雛がいるように装うために、翼角と呼ばれる羽の黄色い部分を持ち上げて震わせるのだという。雛の嘴と口の中が黄色いため、翼を持ち上げることによって、複数の雛がいるように仮親にアピールし、体の大きいジュウイチが育つのに十分な量の餌を確保するのだそうだ。
 そして一方で、熱帯に住む仮親の場合、自分の巣の中にカッコウなどの雛を見つけると、この雛を咥えて捨てるという行動も見られるという。どちらも生きるのに必死だ。
 工夫と経験と進化。自分自身の進化について考えを馳せる。

2012/11/22

変わらない思いで

 そういえば私は、小さい頃から、「練り歩く」の「練り」の意味や、例えば「それは違います」と「それが違います」の微妙なニュアンスの違い、読みやすい文章のリズムなどについて延々と考えている子どもだったのだ。9歳のときにサンタさんにお願いしたクリスマスプレゼントが国語辞書だったのを、今でもはっきりと覚えている。
 そして、今も同じように、言葉に向き合っている。あの頃と変わらない思いで。

2012/11/17

旅は終わらない

 なぜだろう、帰国してから1週間以上経つというのに旅が終わったという実感がなくて、漂っている気がしていた。もちろん自分の体は日本にあって、物理的な意味での旅がすでに終わっていることはわかっている。それなのに心の一部がイギリスから帰ってきていないような感じが、ずっとしていた。帰ってきてからまたすぐに短い出張に出たりして、移動の速度に自分自身が追いついていないからかと思っていたけれど、この文章を読んで腑に落ちた気がする。
 「なんていうんだろう。旅というのは、実際に体を動かすという旅以外に、帰ってからもう一度反芻する、私にとっては内的な旅が続くというのがあります。それで全体の旅が完成する。」(『考える人』2012年秋号、ロングインタビュー 梨木香歩「まだ、そこまで行ったことのない場所へ」52ページより)
 私にも、ゆっくりゆっくり反芻する時間が必要なのだ。まだ、旅は終わらない。

2012/11/15

次のお椀

 ひとり暮らしを始めるときに買ったお椀が割れた。
 かなりの粗忽者だけれど食器はめったに割らないので、最初に買った食器はほとんどが今でも残っている。ただ、扱いが丁寧だとはとても言いがたい。そんなふうに多少手荒に扱っても耐えてきてくれた頑丈なお椀から、お味噌汁が漏れるようになった。
 学生時代、東京で満員電車に揺られて会社に通っていた時期、山形に戻ってきてからまたひとり暮らしをはじめ、やがてそれがふたり暮らしになった。途中実家に戻った時期もあるけれど、何回もの引っ越しに着いてきて、食卓に上っていた。買った当初はもっと鮮やかだった色は、今ではもうあせてしまっている。それでも、すっかりと手に馴染んだお椀だった。
 18歳の春休み、母と一緒に買い物に行ってから18年。そろそろ、次のお椀を買いに行く時期なのかもしれない、と、お椀を洗いながら思った。

2012/11/08

交差する人生

 旅に出ているからといって、することはいつもとそれほど違わない。ネットさえつながればどこでも仕事はできるし、散歩をしてお茶を飲み、音楽を聴いて本を読む。夕方にはスーパーで買い物をして簡単に料理をする。それだけだ。生活、と思う。
 それにしても、芸術三昧の滞在だった。あのあとコートールド・ギャラリーにも行き、そしてどうしても行きたくなり、ナショナル・ギャラリーにもう一度。ロンドン交響楽団の弦楽コンサートにも行ったし、まさに芸術の秋。ゴーギャンもマチスもカンディンスキーも観たけれど、個人的には、ゴッホに出会う旅だった。
 歩き疲れてお茶を飲んでいたら、あんまりぼうっとしていたように見えたのか、イギリス人の男性に「大丈夫?」と笑われる。しばらく私の拙い英語で話をし、”Have a nice day!”と別れた。ほんのつかの間、人生が交差する。

2012/11/06

visitor

 ひとりで海外にいると、当たり前だが一外国人でいられるのが気楽でいいな、と思う。ほとんど片言の英語しか話せない、背が小さいただの東洋人。いつもそれほど肩肘張って生きているつもりはないが、私が私自身の大きさでいられる気がするのだ。うまく説明できないけれど。
 ヴィクトリア&アルバート博物館、ナショナル・ギャラリー、と2日間続けて美術館に行っている。こちらの美術館はほとんどが入場無料で、それがとてもありがたい(もちろん寄付はする)。どちらも収蔵作品の量があまりに膨大で、途方に暮れてしまう。それでも、見たかったゴヤやカラヴァッジョ、ルーベンス、セザンヌにゴッホ、フェルメール、どれもじっくりと堪能した。椅子を持ち込んでスケッチをしている男性、熱心にメモを取っている学生らしき女の子、たどたどしい英語で一生懸命お母さんに話しかける幼い子ども。こんな環境で暮らせたらどんなに幸せだろう、と考える。
 日の当たるトラファルガー広場のベンチに座って、ぼんやりとミルクティを飲んだ。足元にはたくさんの鳩。
 ただの一外国人でいられるのは、私がここではvisitorだからなのだろうな、と思う。ふらりとやって来て、またすぐ去る。

2012/11/02

19歳、17年

 はじめて行った外国は、イギリスだった。19歳の夏。大きい大きいスーツケースを友達のお父さんの車に乗せ、夜も明けきらないうちに成田を目指して静岡を出たことを、今でも昨日のことのように憶えている。何が起こるのか予想もつかなくて不安だらけで、でもとにかくわくわくしていた。何にせよ、はじめての経験をしたところは記憶に残る。だから、私にとって、そのあとのさまざまな出来事も含めて、イギリスはちょっと特別な国だ。そして、そのあとも行きたい行きたいと願いながら、これだけの月日が経ってしまった。
 先日の広島に引き続き、17年ぶりにイギリスに来ている。人の細胞は常に入れ替わっているし、街自体も変わるから、今目にするロンドンははじめてのようなものだ。私の覚えているロンドンは、記憶の産物でしかない。でも、それでもひどく嬉しくて、冷たい風が吹きつけて涙目になることも、迷子になることさえも楽しんでいる。

2012/10/29

その人だけに見える景色

 「なあ、モモ、」とベッポはたとえばこんなふうにはじめます。「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」
 しばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。
 「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだのこっているのにな。こういうやり方は、いかんのだ。」
 ここでしばらく考えこみます。それからようやく、さきをつづけます。
 「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
 またひと休みして、考えこみ、それから、
 「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」
 そしてまた長い休みをとってから、
 「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれていない。」
 ベッポはひとりうなずいて、こうむすびます。
 「これがだいじなんだ。」
(ミヒャエル・エンデ作、大島かおり訳『モモ』p.52~53、岩波少年文庫より)
 先が見えないようなときは、いつもこの文章を思い出す。「いつもただつぎのことだけをな」。一歩一歩進み、一段一段上ってきた人だけに見える景色がある、と信じている。そして、結局のところ、自分を救うのは、積み重ねてきたその一歩、その一段だけなのだ。きっと。

2012/10/27

職人

 天才は職人にはなれないし、職人は天才にはなれないかもしれない。私自身は、自分が天才ではないことを知っているからこそ、職人に憧れる。日々の仕事を淡々とこなし、最上級のものを追求する職人に。

2012/10/26

機嫌

 自分が機嫌よく過ごすために必要なもの。クラシック音楽、たくさんの本、柑橘系のアロマオイル、あたたかいほうじ茶、大判のブランケット、大好きなチョコレートやクッキー、寝そべることができる大きいソファ、光と風。
 つまり、私はいつでも機嫌よく過ごすことができるのだ、ということ。
 
 庭のホトトギスが咲いている。

2012/10/25

 言葉遣いや字の間違いにいちいち引っかかる自分を狭量だとも思うが、その一方で、神は細部に宿る、と信じている。

2012/10/24

覚悟と決意を持って

 もう8〜9年前になるだろうか、ある化粧品会社のCMのコピーは「幸せになる覚悟はある」というものだった。当時、どうしてそこで「覚悟がある」じゃなくて「覚悟はある」なんだろう、ということと、幸せになる覚悟なんてみんな持ってるはずじゃないの、という2つの違和感があったことを覚えている。「覚悟は」なのか「覚悟が」なのかはさておき、幸せになる覚悟は、しているようでしていなかったのだとつくづく思う。
 最近、いろいろな場面で覚悟を問われる日々が続いている。自分が自分の人生の主役であるという覚悟、自分のしたことに対して責任を負う覚悟、そして幸せになる覚悟。
 覚悟と決意を持って、自分の人生の舵取りをしていく。

2012/10/22

家族みたいな絆

 人と関係を築くときに何よりも大切なのは密度なのだ、と思う。どれだけ長いあいだ同じ学校に通ったり同じ仕事をしていても、どうしてもわかり合えない人はいる。その一方で、たった4日前には名前すら知らなかった人と、この先一生つき合えるだろうという絶対的な信頼関係を築くこともできるのだ。その場に来ること、そんな人たちと知り合うことはあらかじめ決まっていて、必要なときに必要なタイミングでやってくるだけなのかもしれない。
 結局は人なのだ。仲間や友達になるのも恋人になるのも、そしてたとえ血はつながっていなくても家族みたいな絆で結ばれるのも。

2012/10/18

 パイプオルガンの響きを聴いていると、心がどんなに波立っていてもやがて落ち着く。この鎮静効果たるや。

2012/10/17

続く非日常

 大好きな友達と、キース・ジャレットのピアノの音と一緒に山形に帰ってきた。
 まだまだ非日常は続く。

2012/10/15

よすがとする場所

 10年近く教会に通っていた時期がある。だからなのかはわからないが、海外に行くと観光スポットとしても教会に行くのが好きだ。日本でもそうだし、例えばお寺や神社にしても同じ。たぶん、それは私にとっては、その土地の人たちがよすがとする場所にいさせてもらう、という意味合いが強いのだと思う。
 17年ぶりに訪れた広島で、はじめて宮島に行った。厳島神社、千畳閣、どちらも風の吹き抜けるいい場所だった。何百年も大切にされ、その土地の人たちが折に触れて訪れ、長年手入れされてきた場所。教会に通ってはいたものの、私自身は確固とした信仰を持たないが、その思いが染み込んでいるところはやっぱりあたたかい。穏やかな瀬戸内海を目の前に、自分の体の中の空気をすべて入れ替えるようなつもりで、何回も深呼吸を繰り返した。

2012/10/14

垣間見る

 旅をしていて好きなのは、自分が訪れた場所でごく普通の生活が営まれている様子を見ることだ。私が荷物を抱え、スーツケースを引っ張っているその脇を、カゴにスーパーの買い物袋を入れた自転車が通り過ぎたり、制服姿の高校生がしゃべりながらすれ違う、そういう風景を見ると、あ、いいな、と思う。私にとってはちょっと特別であっても、その土地に住んでいる人はあくまでも生活する場所で、それが垣間見えるのがいいのだ。ちょっとだけお邪魔させてもらっています、という気持ちになる。
 その土地の空気は、結局は人が作り出すものだ。空気が忙しそうな場所は人も忙しそうだし、人がゆったりしているところはゆったりした雰囲気を醸し出す。尾道はどことなくのんびりした、空気が甘い場所だった。

2012/10/13

西へと

 新幹線に乗って、西へ西へと1,100キロ。友だちがいる街を訪ねるのは楽しい。
 途中、学生時代を過ごした静岡を通過し、富士山を見ながら、あーたまーをくーもーのー、うーえにーだーしー、と心のなかだけで歌った。

2012/10/12

触れられてしまう

 音楽を聴いていて、ああ、触れられてしまった、と思うときがある。心ごと全部持っていかれてしまうような、やわらかい羽で心の奥深くをなぞられてしまうような感じ。
 いつもなら、音楽を聞きながら作業をすることもできる。仕事中はずっとクラシックを流しているし、朝起きて食事の準備を始めるまでの時間は、大抵音楽を聞きながら本を読んでいる。大好きな曲はたくさん、ほんとうにたくさんあるけれど、心に触れられてしまう曲は数多くはない。そんな曲は、聴いているだけで胸が詰まり、自然と涙ぐんでしまう。目を閉じて、曲に身を委ねるしかないのだ。どうしたって抗えない。
 そして、昨日の夜から今日にかけて、私の心はほとんどそんな曲に持っていかれてしまった、という話。他にもこの曲に触れられてしまった人がいたからこそ、100年以上演奏し続けられているのだろう、とどこか甘やかな気持ちで考えている。

2012/10/11

季節の移り変わり

 玄関を出て、あ、と気づいた。ホトトギスの蕾が膨らんでいる。
 我が家は築30年ほどの一軒家の借家だ。ここに住んで、もう5年になる。それまではマンション暮らしだったのだが、どうしても地に足の着いた生活をしたくなり、一軒家に住みたいと探して見つけた物件だ。引っ越してきた当初は砂利だった駐車場部分を、車を停めやすいようにコンクリート敷きにするね、と言ってくれた大家さんに、草木の部分は残しておいてください、と私たちはわがままを言った。松の木があり、花がたくさん咲く庭をすべてコンクリートで固めてしまうのは忍びなかったのだ。大家さんは快く受け入れてくれ、今でも小さな庭は残っている。
 春になればつくしがほうぼうに頭をのぞかせ、そのうち立派なアスパラが生える。白水仙のあとは鮮やかなピンクの八重の椿が咲き、目の前の公園ではソメイヨシノと枝垂れ桜が咲き乱れる。そのうちドクダミがわさわさと葉を茂らせ、たくさんのビョウヤナギが咲く。そのあとに咲くホトトギスが終わったら、まもなく冬が来る。猫の額よりも狭い庭だけれど、庭に咲く花で季節の移り変わりを知ることができるのは幸せなことだ、と毎年思う。
 それにしても、今年は5月くらいから走りっぱなしだった。ドクダミが茂っていたのは記憶の片隅にあるけれど、一斉に黄色い花を咲かせたはずのビョウヤナギの印象があまりない。もうちょっと余裕を持ちたいものだ、と思いながら、ホトトギスの蕾が開くのを待っている。

2012/10/10

金色の美しい食べもの

 秋は、トーストと紅茶、という献立がいちばん似合う季節だと思う。キツネ色になる一歩手前まで焼いた薄めのイギリスパンに、きりっとした紅茶にたっぷり注ぐミルクがマーブル模様を描く食卓。この時期になると、朝に決して強くはなかったホストマザーが、眠い眠い、と言いながら毎日用意してくれた献立が決まって懐かしくなる。
 だからというわけではないが、お米が大好きな私が、最近は朝食にトーストを食べている。夫はもっぱらブルーベリージャムを塗っているが、私は蜂蜜で食べる。たらり、と蜂蜜をトーストに落とすと、それだけでなんだかうっとりしてしまうほど。金色という色を表すのに、蜂蜜はぴったりだ。こんなに美しい食べものは、ほかにそうそうない、と信じている。

2012/10/09

信じられる理由

 好きな作家が同じ人は、それだけでなにか信じられる気がする。読書という行為が、ごくごく個人的で、心の琴線に触れる作業であるがゆえに。

2012/10/08

境界

 「個人を群れに溶解させてはならない、と今でも思っています。」(『考える人』2012年秋号、ロングインタビュー 梨木香歩「まだ、そこまで行ったことのない場所へ」56ページより)
 境界、という言葉が数日前に降ってきて、それについてなんとなく考えていたら、今日買った『考える人』に上記のような表現があって、ちょっと腑に落ちた気がする。例えば自分と他人、中と外、どこにでも境界はあるけれど、個人的にはその理想的なあり方が、群れの中でもすっくと立つ個、ということだ。人間はいつも、決定的にひとりなのだからこそ。
 それにしても、境界にこうも惹かれるのはどうしたことなのだろう。できれば、自分自身の中にも境界を抱えたいものだ、と思えるほどだ。

2012/10/07

仲間という意識

 出張や体調不良が続いて、実に1ヶ月ぶりのスタジアム。
 共通点があれば仲よくなりやすいというのは事実だけれど、友達だったり顔見知りだったりまったく知らない人だったり、そんな関係は抜きにして、スタジアムに集う人たちは仲間だ、という気がする。みんなサッカーが好きで、それぞれ渾身の力で応援するチームがある、それだけでいいのだと思える。サッカーが好きな人に悪い人はきっといない、と無邪気に信じてしまいたくなるほど。チームがいいときも悪いときも、選手と一体になってシーズンを戦う、それがサポーターだ。
 でも、それにしたってこの結果は…、とため息をつきたくなるときもある。そして、それが今日だったりするのだけれど。

2012/10/06

享受してきた幸せ

 1週間以上遅れて、9月28日が戸籍上の誕生日である母の誕生日パーティー(いろいろと事情があって、本当の誕生日はまた別の日なのだ)。夫と父と妹夫婦の6人でワイワイと食事。こうやって、またみんなでお祝いできてよかったな、と思う。
 私の実家では、誰かの誕生日には、家族全員が、金額の大小には関わらず必ずプレゼントを贈るのが習わしだった。7人で暮らしていたときは、祖母と祖父、そして私が1月生まれだったので、「1月は出費が多いわねえ」と言いつつみんながプレゼントを用意していたのだし、今度の誕生日は何月だね、と、程度の差はあれ、全員がなんとなく意識しながら生活していた。そして、当時は当たり前のことだと思っていたそれが、どんなに幸せなことだったのかということを今さらながら実感する。自分が生まれてきたことを手放しで喜んで祝ってくれる人がいるということと、それを当然のこととして享受してきたこと。
 そういう環境で育ててくれた母のために、きっと母が好きだろう、というプレゼントを贈った。気に入ってくれるといいな、と思いながら。

2012/10/05

本棚と自信

 人の本棚を見るのが、たまらなく好きだ。そこに、その人自身が表れている気がするから。
 私自身の本棚を考えてみても、たとえば結婚したてのときの本棚と今のそれはまったく中身が違う。本を読むのが好きなのは変わらないけれど、志向・嗜好は変わるものなのだな、と思う。以前はもっとふわふわした文章が好きだった。地上15センチを漂っているような、甘い本が好みだったのだ。つまり、それは私が若かった、ということとほぼ同義なのだと思う。
 いくつか年を重ねて、以前も読んだけれどそれほど心に響かなかった作家の本が、今は何よりも大事だ。きちんと説明ができ、感情は孕むけれどそれに流されない、そういう文章を好むようになった。明晰であり、論理的であり、理性的であることが、今の私の本を選ぶポイントのような気がする。もちろん、それ以外の本もたくさん読む。ただ、自分の手元に置いて何回も読み返す本は、やはりその条件に当てはまるものが多い。
 そして、今なら、本棚を見られても恥ずかしくない。やっと自分に根拠のある自信を持てるようになったということだ、と言い切ると大袈裟に過ぎるだろうか。

2012/10/04

言葉の色鉛筆

 「で、結局お仕事は何なんですか」、と聞かれることがときどきある。わかる人にはわかってもらえるが、わからない人に説明するのはひどく難しい仕事だ。社長が講演活動とか企業研修をしていて、私はその会社で秘書兼なんでも屋みたいなことをしていて…と説明しても、「で、結局は?」と聞かれると言葉に詰まる。小さい会社だから、必然的にひとりひとりの仕事の領域は広くなる。その結果、私がやっているのは、調整や交渉や準備・手配のほかに、編集だったり校正だったり書類の作成だったり、一時期は労務も経理もなんでもやっていた。
 それでも、やっぱりいちばん好きなことは言葉に関わることなのだ、とつくづく思う。文章を書くこと、校正することだったらどれだけやっていても苦にならない。もちろん、真っ赤に校正を入れたゲラを見たくないことだってあるし、インタビューさせてもらった人の言いたいことを、どうやったらもっと的確に伝えられるだろう、とちょっと落ち込むこともある。でも、やっぱり言葉と戯れているときが幸せなのだ。
 私にとって、言葉は色鉛筆のようなものだ。たくさんの色鉛筆を使いながら、自分の見たり感じたりしたことにいかに近づけられるのか、その足し算や引き算が楽しくてたまらない。いつか、私そのものの言葉を見つけたい、と思っている。

2012/10/03

行き着く先

 私は、明晰で、それでいて感情を含む文章を書きたいのだ、と思う。

2012/10/02

守られた場所

 自宅で仕事をするようになって、外を出歩く機会がめっきり減った。まあ、出張はそれほど減っていないので実際は出ている時間も多いのだが、単純に通勤時間がなくなったということもあり、1歩も外に出ない日もしばしばある。そして、これがおそろしく居心地がいい。
 そのとおりだよね、と言われるか、そんな、と思われるのかはわからないが、私は元来自分から外に出かけていくタイプではない。小さいころから家で遊ぶのが好きだったし、家にはたくさんの本もグランドピアノもあって、家にさえいれば楽しいことはわかっていた。ぐずぐずした人見知りする子どもだったし、それをなんとか克服しようとした時期もあったが、もうとうにそれは諦めている。守られている家の中だけで暮らすことができるのなら、喜んでそうしているはずだ。
 Twitterでフォローしている、あるbotで、「家だけで1日が終わる生活をしていると何の可能性も創造しません。今と変わらない未来が待っているだけです。」というツイートが流れてきて、今と変わらない未来か、と思わず苦笑している。

2012/10/01

決意

 今の自分が持っている力は、もしかしたら目の前の人が手に入れたくても入れられなかった力なのかもしれない。
 それなら、精一杯、誠実に、この力を使わなければ、と思う。

2012/09/30

私の風邪は

 「あなたの風邪はどこから?」というCMがあるが、私の風邪はだいたい喉から始まる。首のところのリンパ腺にしこりのようなものができたら要注意、そこで食い止められればいいけれど、一歩遅いと喉が塞がる。バタバタと忙しくしていたつけが回ってきたのか、土曜日の朝からすこし喉が痛かったのだが、今朝起きてみたら関節も痛むので、出かけるのはやめておとなしくしていることにする。
 私はミントの類は一切だめだし、粉薬も飲めない。だからのど飴も舐められないし、スプレータイプの喉に直接塗る薬も使えない。甘い普通の飴をひっきりなしに口に放り込み、ときどきお茶でうがいをして、ひどければ薬を飲む。それだけだ。あとは体に任せるしかない。それでも、これまではきちんとなんとかなってきた。もともと体力があるほうではないし、30代も半ばを過ぎ、あんまり無茶をしてはいけないのだな、と思う。
 iTunesで小さくサラ・ブライトマンを流しながら、心の中でだけ一緒に歌っている。

2012/09/29

母のセーター

 大々的な衣替えをしなくなってから、ずいぶん経つ。子どもの頃は衣替えは一大事だったものだが、今ではそれほど大きな洋服の入れ替えはあまりしない。Tシャツ類をしまって、ニットを出すくらいだ。
 母が手先の器用な人なので、今に至るまで、ニットは母の編んだものが多い。編み物を習いに行っていたこともある母は、1シーズンに3人分くらいのセーターやカーディガンを編んでいた。以前編んだものをほどくときには、毛糸を巻く手伝いをさせられたものだった。
 セーターと言って思い出すのは大学1年の冬のこと。クリスマスを過ぎたら実家に帰る予定だったのにもかかわらず、母はアパートにプレゼントを送ってくれた。中身は編んでくれたセーター。それなのに、「届いた?」と電話をかけてきてくれた母に、友達が部屋に遊びに来ていた私はそっけなく対応し、ありがとう、の一言さえ言わなかったのだという。私自身はそんな対応をしたことはまったく覚えていないのだけれど、母はよっぽどがっかりしたのか、ことあるごとに思い出しているらしい。母には悪いことをしたな、と思う。そのセーターの色や模様も、今でもはっきり思い出せるのに、ありがとうすら言わなかったなんて。
 今でも、以前よりペースは落ちたものの、冬になると母は編み物を始める。そして、何度教えてもらっても編み物が身につかない不器用な娘は、今度はこれを編んで、とリクエストすることしかできない。

2012/09/28

 朝10時20分のスカイマークで旭川空港を発つ。風が強い、北海道の秋だった。

2012/09/27

あたたかい思いが満ちる場所

 青い池、美瑛の丘。MacとGmail、データベース。たくさんの時間の共有。

 富良野に来るといつも泊まる、いわゆるデザイナーズホテルがある。それほど大きくはなく、富良野にももっと豪華なホテルはあるけれど、いつ来てもとても気持ちがいいところだ。木や石をふんだんに使っている部屋。壁はコンクリートの打ちっぱなし、窓には布製のブラインド。清潔な真っ白のリネンにヤコブ・イェンセンの電話、デュラレックスのグラス、フロントでもらえるアロマオイル。わかりやすく言えばそういうことだ。
 けれど、居心地がいいのはそれだけが理由ではないのだと思う。このホテルが好きで働いているのだろうということ、向けてくれる笑顔の内側からにじみ出るもの、そういういろいろな思いが満ちているように感じられる。この、あたたかく迎えられているという雰囲気は、きっとスタッフの方がつくり出すものであって、結局は人に惹かれているのかもしれない。

2012/09/26

私のパワースポット

 はじめて訪れたのは、14歳の夏だった。
 母のたっての希望で足を延ばした富良野は、綺麗ではあったけれどそれ以上の感慨は何もなく、「北の国から」を熱心に見ていたわけでもない当時の私にとっては、空が広いところだな、という印象ばかりが強かった。20年以上経ってから、ここがこんなに大事な場所になるとは、もちろん知る由もなかった。
 仕事で富良野に行くようになって、2年ほどになる。何回降り立っても、心が躍る。パワースポットが自分が元気になれる場所なのだとしたら、富良野は間違いなく私にとってのパワースポットだ。同僚でもある大事な友達がいて、居心地のいいホテルがあり、大好きなお店があり、景色を見るだけでもエネルギーが充電される。広々とした空、なだらかに続く丘、吹き抜ける風。ラベンダーの香りが満ちる季節も、道路脇に連なる白樺に雪が積もる冬も、それぞれに美しい。1年ぶりに来た富良野も、以前と変わらず私を迎えてくれた。大切な場所があり、そこに来られることが、たまらなく嬉しい。

2012/09/25

友達

 「友達」という言葉の定義が、会ったりメールをやり取りすることなのであれば、私にはほとんど友達がいないことになる。忙しさにかまけて、と言えば聞こえはいいかもしれないが、要するに何事に対しても不精なのだ。もともと人づきあいが得意なほうではないし、人見知りだってする。心を割って話せる人がほとんどいないことを、すこしさみしくは思いつつも、私はそういうものなのだ、と思ってきた。
 でも、30歳を過ぎてから、幸運なことに、何人かのそんな友達に恵まれた。常に意識してきた「自分をよく見せなければいけない」という強迫観念のようなものの及ばない場所で、安心して本音を言える存在。あるいはまた、きっと、その渦中にいる私以上に、この状況を深く理解してくれるだろう、という存在。会う機会は少なくても、おいしいものを食べたりいい曲を聞いたりいい本を読んだりしたときに、「あの人だったらなんて言うだろう」と思い出すのが、私にとっての大切な友達。心にろうそくが灯ったようなあたたかい気持ちになれる。

 お元気ですか。近々また、お会いできたら嬉しいです。

2012/09/24

温泉の効能

 すこし、疲れていた。いつになく立て込んだ仕事に、心よりも体が先に悲鳴を上げ、もうめったなことでは出ない腰痛が、かなりよくなったもののずっと鈍く続いていた。体の芯に、澱のように溜まっている徒労感を何とかするために、いそいそと温泉へ行く。
 近くには温泉がたくさんあって、こういうときにはこんな環境がありがたい。昨日は、もう3年近く行っていなかった山の中の温泉へ。いつの間にか内湯ができて、施設そのものも広く、きれいになっていたのに驚く。ちゃぷり、と湯船に身を沈めると、思わず深い深い溜息が漏れる。最近よく行っていたところよりもお湯がぬるくてやわらかく、それがたまらなく心地よかった。親子づれで来ていた、5歳にもならないであろう子どもが2人、「大きいお風呂って気持ちいいね」「そうだね」と話しているのを聞いて、こんなに小さくても温泉は気持ちいいものなんだな、と思わず笑みがこぼれる。
 そろそろと露天風呂に移動して、再びお湯に身を委ねると、かすかに雨が降っていた。露天風呂には、「雨の日は笠をどうぞ」と、5つくらい笠が壁にかけてある。あれをかぶってお風呂に入ったら、きっとかさじぞうがお風呂に入っているみたいに見えるんだろう、と思うとなんだか可笑しい。顔を夜空の方に向けて、深呼吸を繰り返す。ざぶり、とお湯から上がったときには、不思議なくらい体が軽くなっていた。

変わること、変わらないこと

 書くことは当たり前のことだった。息をするように、食事を摂るように、眠ることのように普通のことだったから、どうして書くのかなどと考えたことはなかった。けれど、それが当たり前ではなくなってから2年近くが経つ。

 この2年近く、がむしゃらに走ってきた。よく言えば脇目もふらずに。いささか反省を込めて言えば、周りのことを振り返る余裕などないくらいに。

 そして今、改めて思う。やっぱり書きたい。

 ここで、また新たな一歩を踏み出そう。小さく、でも確実に。